経済産業省が推進する、企業や経済団体による教育支援の取り組みを奨励する表彰制度「キャリア教育アワード」。第9回(2018年度)を迎える今回、HPが主催する火星における人類100万人の暮らしを設計する国際的プロジェクトを、日本の学生キャリア教育向けに展開した日本HPが受賞。本稿では、同賞の表彰式も兼ねた「平成30年度キャリア教育推進連携シンポジウム」(主催:経済産業省、文部科学省及び厚生労働省/2019年1月18日開催)のレポートと、日本HPのプロジェクト担当者へのインタビューをお届けします。
HPの国際的プロジェクト「HP Mars Home Plant」では、建物、車、衣類、文化など、火星に適応した暮らしをどのように立ち上げ維持するのか−−世界中からアイデアを募集しました。日本HPは、学生向けに特化した「Project MARS - Education League JP - 」を立ち上げ、JAXA(宇宙航空研究開発機構)ともに推進。104チーム410名の学生が参加し、約半年にわたり展開してきました。
この取り組みが、先進的な教育支援活動を行う企業・経済団体を経済産業大臣が表彰する「キャリア教育アワード」の大賞を受賞。2018年1月18日に、文部科学省・厚生労働省・経済産業省主催の「平成 30 年度キャリア教育推進連携シンポジウム」において表彰式が行われました。
株式会社日本HP 専務執行役員 パーソナルシステムズ事業統括 九嶋俊一氏(左)と、
パーソナルシステムズ事業本部 パーソナルシステムズ・マーケティング部 部長 甲斐博一氏(右)
ポスターセッションでプロジェクトの概要と成果を発表する甲斐博一氏
日本HPのポスターセッションでは、甲斐博一氏らが「Project MARS - Education League JP - 」の取り組みを発表。〝答えのない課題へのチャレンジ〟〝協働力〟〝テクノロジーの可能性を信じ活用できる力〟を養うプログラムの狙いや、(1)コンセプト提案〜(2)コンセプト案をコンピューターにより3Dモデル化〜(最終)VR展開案プレゼンテーションと続いたプロジェクトフェーズの様子、派生プロジェクト展開例の発表が行われました。
参加学生の中には、宇宙関連事業の起業、産学連携プロジェクトへの参画、学校団体での新たな取り組み、プロジェクト運営に関わった企業へのインターンシップなど、キャリア教育に関するさまざまな成果が現れているといいます。
―キャリア教育アワード大賞おめでとうございます。感想をお聞かせください
私の担当業務はマーケティングで、人材教育でも開発でもありません。しかし今回、経済産業省、文部科学省が主催するキャリア教育のイベントにて表彰を受けたことで、マーケティング施策でありながらも、人材教育と違う分野でも貢献できるということを証明できたことを嬉しく思います。
私自身が、マーケティング施策を従来の枠に留めROIだけで評価することに終始したくないという想いでこの10年ほど実践してきました。マーケティングに関する賞(「カンヌ広告祭」など)もありますが、今回の受賞はマーケティングに関わる方々に対しても、新たな可能性を示すことができたと思っています。
そして、HPはグローバルな企業ですが、日本HPは日本のお客様に向きあってお仕事をさせていただいております。日本政府からの表彰により、日本の社会や未来に貢献できたということも大変感慨深いです。
―Project MARSの狙いはどのようなものでしょうか?
テクノロジーとしてのVR(Virtual Reality)の持つ可能性を世界の人に紹介するというのが一番の狙いです。VRでは、人が行けない所、過去・未来といった時空を超えた世界を創造できます。そういう意味で火星は、格好の題材です。
日本のビジネスという意味では学生だけを対象としたプログラムとして展開したわけですから、HPの学生へのブランド価値向上に加えて、専門学校や高校、大学へ高付加価値製品の訴求を行い、単にプログラミングのためのPC導入ということではなく、ハイパフォーマンスなPCやワークステーション、グラフィックボードを使ったよりリッチなコンテンツ創造などへの機会創出を狙いました。また、学生が懸命にVRなどの技術に取り組む様子を見て、企業の経営者層がテクノロジーをビジネスにより高度に取り込む勇気を与えようという狙いもありました。
―Project MARS -Education League JP- に参加された、学生の皆様の取り組み姿勢についての感想をお聞かせください
当初、学生の皆さんは学業や部活などで忙しいと思っていましたので、このプロジェクトにそれなりに時間をかけ熱中しながら、盛り上げていけるかどうか心配でした。
ところが始めてみると、みなさん想像以上に熱心に取り組まれ、その心配すぐにとんでいきました。未来の火星、VRというワクワクするテーマだったということもありますが、学生たちにとって、学年や学校種別を超えて数百名が集まり、同じテーマで競う場はなかなかありません。理系の学生は通常、誰もチャレンジしていないことを個別に追求していくという研究活動が主ですので、同じテーマで研究成果を競うことはとても刺激的なんだということがわかりました。
これまで私が産学連携のプロジェクトで見てきた事例は、高校生なら高校生、大学生なら大学生だけ……と、同世代で行うものばかりでした。私は、高校生から大学院生まで、経験や知識が違う人たちが刺激をしあうと面白い化学反応がおき、そこからイノベーションが起きるのではないかと思いと、そのことが高大接続など今教育業界で課題となっていることにも注目し今回はプロジェクト設計の段階から参加する学年の幅を意識して設けることにこだわりました。
仕事の現場は同じバックグラウンドや価値観、得意な分野が同じ人が集うことはほぼありません。、ゲーム開発の実務では、コンセプトを考える人、シナリオを書く人、グラフィックやアニメーションを作る人、プログラムコードを書く人など、さまざまな職種によって進行します。幅広い年代・属性の学生の参加により、こうした協働作業の経験をしてもらえるような場としたかったのです。
結果、大学生は若い高校生にいろいろ教えたい、高校生はそれにあこがれたり、逆に大学生には負けたくないという高校生も現れ、プロジェクトは熱気を帯びていきました。特殊な専門技能をもつ専門学校生の存在も面白く、限られた専門分野では大いにその腕を振るう……といった感じで熱中の輪はどんどん広がっていきました。。ほんの少しですが挫折するチームもいましたが、数々のワークショップを通じて、この年代で「自分は何ができて何ができないか」ということを問うような〝気づき〟を与えられたというのも印象的でした。
―学生たちは結果的にどのような成果をあげましたか?
第一フェーズでのコンセプト立案は80作品ほど集まりました。さまざまなアウトプットの形態があり、学生たちの多様性が見られて面白かったです。コンセプト立案の要件として、科学的根拠があり、技術的実現可能という点をクリアする必基準を設けました。そのなかで、「世の中に計算できないものはない」と豪語する早稲田大学の大学院生チームが64枚にもわたる科学技術計算を中心とする優れた論文に加え、わかりやすいプレゼンで、第一次フェーズ1位を獲得しました。
最終フェーズでは、コンセプトが似ている高校生チームと大学生チームの合併が起きました。第一フェーズで1位を逃したチームが「どうしても勝ちたい」という意欲に加え、コンセプト案が似ていたということで競合するのではなく協働することを選んだのですが、これは実ビジネスでも起こる合併と同じでした。結果として優勝できたことで、この合併の意味を理解し、自分事化していくことでこの先実社会で役立っていく経験になったと思います。
また、この優勝チームの一部のメンバーは、プロジェクト終了後、宇宙とVRがテーマのスタートアップである合同会社Yspace(ワイスペース)を起業しました。ほかに、避難訓練VRのプロジェクトを手がけた高校生、ロボットとAIを活用した被災地支援プロジェクトに参加する高校生などもその後現れています。
またビジネスとしては、多くの学校に通常PCだけではなく、高付加価値コンピューターの導入を検討いただけ始めたことが成果かといえます。若者たちが高度なコンピューターテクノロジーをを使って新しいイノベーションを起こす。それをサポートする環境の礎を築けたと思います。
―受賞おめでとうございます。率直な感想をお聞かせください
九嶋:おどろきました。Project MARSは、グローバルなプロジェクトで、日本HPとしても多くの人に参加していただき、それなりのエネルギーを使った施策だったのですが、まさかこのような賞を頂けるとは思っていませんでした。
大橋:私も驚きました。多くの学生の方々、JAXAの皆さまも関わっていただき、ある程度広く展開できたので、受賞に繋がったのかと思います。
九嶋:我々自身はホストさせていただいただけですが、参加された学生の方々やJAXAの方々にはとてつもない時間を使っていただきました。皆さまのエネルギーの総量で受賞させていただけたのではないかと思います。
専務執行役員 パーソナルシステムズ事業統括 九嶋俊一氏
―HPはどうしてこのような世界的なプロジェクトを組んだのでしょうか?
九嶋:我々は新しいテクノロジーを世の中に普及していくために、いろいろな取り組みをしています。今回はVR、仮想現実ですが、VRはまだ普及段階ではありませんね。新技術を普及するのは難しく、裾野を広げるためには、わかりやすいイベントを提示することが大切です。Project MARSでは、VRコンテンツに関する基礎的なナレッジを広げ、裾野を広げるという目的で実施しました。
大橋:Project MARSでは世界中から作品が集まり、上位のコンテンツはかなりレベルの高いものでした。これにより、VRコンテンツの作り方や表現手法のノウハウが広まりました。参加することで作り方を知るだけでなく、レベルの高いコンテンツを見ることで、表現力や創造性も底上げされることでしょう。責任事業部としては想定以上の結果を出せたと思っています。
―HPさんのハードウェア製品の実力も示すことができましたか?
大橋:はい。VRコンテンツはリッチな表現が必要で、リアルタイムに、両目で高解像度な映像を表示します。スムーズな再生ができなくてVR酔いをしたり、途中で映像が途切れてしまったりしては、いい体験ができません。データを安定して表現できるハードウェアも重要で、そういった面でも貢献できていると思います。
パーソナルシステムズ事業本部 ワークステーションビジネス本部 本部長 大橋秀樹氏
―Project MARSについて、国内およびグローバルで期待されていた効果とその成果についてお教えください
九嶋:VRには、現実にないもの、人間の想像の産物をリアルに見せるという醍醐味があります。HPとしては、ハイエンド機器のブランディングという面もありますが、100万人が火星に住むというテーマにおいて、学生の皆さん方が新しいものを創造する取り組みをサポートできたのはよかったと思います。
個人的には、科学的、技術的に実現可能なもの、という審査基準の設計は、VRという観点では少し厳しすぎたかなと反省しています。火星にいったことある人はいないし、火星にいけるのは100年先かもしれませんので、現代の科学技術の理論にこだわらずに実施してもよかったかなと思います。
VRがより高精細になると、たとえば、毎秒120フレームで再生される8K映像は現実と区別つかなくなるでしょう。実物がなくても、あたかも現実のように体験できるようになります。そんな無限の可能性を見越した、とんでもないアイデアがあってもいいと思います。
―そのような思いはHPの掲げるコンセプトKeep Reinventing(再定義しつづける)から来ているのでしょうか?
九嶋:HPは、物理とデジタルの境界をなくしていきたいと考えています。そのために新しい技術を発明し続けるというのが大きな使命だと思っています。Reinventはすぐにできるものではなく、さまざまな発見が組み合わさって出来上がります。いまその流れの途中にいることは確かです。
―人類をさらによりよい方向に導くため、これから挑戦していく分野・構想をお聞かせください
九嶋:HPは、VRの延長線上に〝エクスペリエンス(体験)をトランスフォーム(変化)する〟という大きなテーマを掲げています。仮想と現実の接点を変えていくということです。たとえば、入力系統の接点でいうと、キーボードやマウス、タッチパネル、音声などの手法が登場してきたように、人間とコンピューターの接点はもっと変わっていくはずです。
ハードウェアだけではなく、ソフトウエアも大事です。AI、IoTはかなり密接に関わりあい、次の新しい体験を与えてくれます。そこが弊社の研究投資分野でもあり、さまざまな関連製品も出していきます。
シンポジウムの結びには、審査委員長である益 一哉氏(国立大学法人東京工業大学 学長)による講評がありました。
キャリア教育アワードは、産業界による教育支援活動と効果を社会に共有することを奨励普及するもので、審査には、継続性、普及性、汎用性、企画性、キャリア領域としての教育効果が問われました。
大賞となった「Project MARS -Education League JP-」について益氏は
「プロジェクトベース、ワークショップベースで、参加する学生がお互いに意見を出し合い、この世に無いものを創造する、まさに無から有を産むというもので、非常に高く評価できるものであります。
議論を通じて新しいものを生み出す―—これはイノベーションの基本であり、異なる人々が一緒になって議論し、何かを生み出すという取り組みはこれからもますます重要になります」
と語りました。