【谷 正友 編】第9回:教育ICTの“翻訳家”として ~自治体・企業・学校の「言葉の壁」をなくす~
元自治体キーマンが描く、ICT活用の過去・現在・未来シリーズ
2026-10-20
日本のICT活用の進化を決定づけるのは地方自治体だ。国家レベルの施策を実際に運用し、国民へのサービスとして昇華させるのは各自治体の役目でもある。そんな自治体において、ICT活用の進化が著しいケースがいくつかある。そしてその共通項として必ず浮上するのが、特筆すべき人材、いわゆる「キーマン」の存在だ。ここでは各自治体においてキーマンとして活躍し、大事業を達成させてきた人物にそれぞれが思い描くICT活用について語ってもらっている。彼らの考えや軌跡をみることによって、同じ自治体はもちろん、企業、組織にも大きなヒントが得られるはずなので、ぜひ熟読していただきたい。
取材:中山 一弘
一般社団法人 教育ICT政策支援機構 代表理事
- プロフィール
大手SIer、奈良市役所、奈良市教育委員会を経て、2022年一般社団法人教育ICT政策支援機構を設立、代表理事。全国各地の教育DX推進や県域共同調達、データ利活用、ダッシュボードに関するコーディネータを務める。現在、文部科学省学校DX戦略アドバイザー、総務省地域情報化アドバイザー、富山市教育DX政策監、JDiCE 日本デジタル・シティズンシップ教育研究会理事を務める。
道具としてのICTをどうやって使っていくのか
自治体では「うちはICTに詳しい人ばかりではありません」という話をよく聞きます。学校や教育委員会も同じだと思いますが、それでも“道具としてのICT”をどのように使いこなしていけばよいのでしょうか。
教育現場のICTといえば、かつてはパソコン教室くらいしかありませんでした。40台程度のパソコンを学校全体で共有し、児童・生徒が使うのは年に数回という特別な環境でした。それが「1人1台」の時代になり、モノは行き渡りましたが、得意な人ばかりではなく、苦手な人もたくさんいます。
公立学校のシステムやパソコンの導入は、一般に学校設置者である市町村などが主体となり、教育委員会が担当します。難しいのは、教育委員会には自治体から来た行政職員と学校から来た教員の双方が在籍していることです。先生が直接使うシステムなら現場をイメージしやすいのですが、GIGAスクール構想のように児童・生徒が使うものは、教育委員会から見ると先生の先にいる利用者向けなので、肌感覚として捉えにくい面があります。
規模の大きな自治体なら指導主事が間を取り持つこともできますが、小規模自治体ではそこまで手が回らない場合があります。教育実務は福祉、税務、住民関係など一般行政の業務とは異なり、いわば「しゃべる言葉が違う」という側面もあります。学校の事情は尊重されるべきですが、予算編成や行政手続きの都合ですぐ実現できないこともあります。
さらに、IT基盤を提供する企業にも自治体特有の制度や仕事の流れへの理解が必要です。入札が基本なので、欲しい製品が決まっていても指名買いはできません。教育委員会の内部でも行政職員と指導主事のコミュニケーションが常に円滑とは限らず、そこに企業側との認識の違いも加わります。
行き違いが積み重なると、現場で使いにくいものや、必要なスペックを満たさないものが導入されることがあります。行政の予算執行スケジュールを企業が理解しておらず、「来年度に欲しかったのに提案が3カ月遅かった」という事態も起きます。決定権のない人にばかりアプローチし、PoC止まりになるケースもあるでしょう。
一方、小規模自治体のほうが意思決定が速く、企業とのやり取りが円滑で、導入に結び付く場合もあります。ただ最近は、県単位など広域で同じものを導入し、先生が異動しても同じ環境で仕事ができるようにする流れが一般的です。自治体ごとに異なる環境を覚え直す負担を減らし、運用やセキュリティの水準をそろえる狙いがあります。文部科学省も施策として打ち出しており、特にセキュリティや端末などのIT基盤は広域導入が進んでいます。
地域性と教育委員会やICT企業をつなぐ“翻訳家”の役割
IT基盤の県域導入が広がるなか、地方ごとの特色は残るのでしょうか。それとも全国で同じようなものに収束していくのでしょうか。
都道府県による違いはかなり大きいと思います。北海道はもちろん、長野県や兵庫県も広く、同じ県内でも生活圏が分かれ、海側か山側か、大都市か山村部かによって事情が異なります。兵庫県は日本海側から太平洋側までつながり、淡路島だけでも相当な広さがあります。
私が関わっていた奈良県は、総面積の割に約40の自治体があります。一方、富山県(15自治体)や香川県(17自治体)では、県の端から端まで1時間ほどで移動できます。こうした地域では県全体で一緒に取り組みやすく、議論もしやすいというメリットもあります。
逆に生活圏や自治体数が多い県では、関係者の合意を形成するだけでも時間がかかります。同じ「県域導入」でも、実現までの進め方や適切な運用単位は地域によって違うため、地域差を踏まえず、仕組みだけ全国一律にするのは難しいでしょう。
以前、谷さんは各自治体で多様な環境があることを踏まえ、ICTを導入しやすくするには自治体側の組織と、ICT企業をつなぐ「共通言語を理解している翻訳家」が必要だと表現していらっしゃいました。これについて教えていただけますか?
私が普段行っていることの一つが、「指導主事と教育行政の間の翻訳」です。自治体を支援する際には、「学校にどう説明すれば、教育委員会として事業を円滑に進められるか」を考えます。企業には、行政の1年間の仕事の流れや、2年、3年単位の計画、守るべきルールを伝えます。それだけで導入がスムーズになることもあります。
文部科学省、経済産業省、デジタル庁などの大きな政策の流れも踏まえなければなりません。国が「底上げ」を掲げるのは、遅れている地域があるからです。低い水準に合わせるのではなく、求められるのは先行する自治体に追い付くことだと担当者に伝えるだけでも、気付きにつながります。そのうえでRFI(情報提供依頼)などを活用すれば、企業も的を射た提案をしやすくなります。
学校の先生は多忙で考え方もさまざまなので、意見集約は容易ではありません。指導主事は現場を導く立場として、全体のトレンドを俯瞰し、教育行政の職員も含めて意見をまとめる必要があります。私は、何を判断材料にするか、どちらを向き、どのような流れで進めるかを伝えることで支援しています。
実生活に即した教育のあり方
教育現場とICTシステムの双方を理解する人材は、教育委員会にどれほどいるのでしょうか。
まだ多くないのが実情です。各地域に優秀な方はいますが、行政、学校、ICTの複数領域を経験した人は限られます。合意形成の初期には、私のように間を取り持つ役割が必要でしょう。そのための組織を立ち上げたりもしています※。
※教育ICT政策支援機構
かつてパソコンやインターネットが普及したときと同じように、経験が共有されれば行政、学校、企業の足並みも次第にそろってくると思います。ただ、今後は生成AIも加わるため、何をどこまで利用するのか、全体のバランスとコンセンサスがさらに重要になります。国の政策も大きく変化しており、現場の負担を減らしながら対応することが大切です。
子どもたちは、ITが当たり前の社会へ出ていきます。スマートフォンで支払いをするように、インターネットを意識せず生活基盤として使っています。それなのに「学校の勉強だけは紙と鉛筆で」と限定すれば、10年、20年後には大きな損失になるかもしれません。
アナログかデジタルかという二者択一ではありません。生活のデジタル化を踏まえ、基本はデジタル環境とし、アナログのほうが効果的な場面ではそちらを選ぶ。そのような考え方で、発注者である自治体、受注企業、利用者である学校が向き合えば、話は進みやすくなると思います。
先日、米国の教育委員会に勤める日本人の友人から、「日本の教育委員会にはITディレクターや教育テックの責任者、ITインフラの専門家がいない」と指摘されました。米国では、日本の中核市以上に相当する規模の広域な学校区に、こうした専門人材が配置されているそうです。ビジョンを描く人、教育テクノロジーをディレクションする人、クラウド連携やアカウント管理、セキュリティを担う人がそれぞれ専門性を発揮します。
日本では、相応の規模の自治体でも専門人材が置かれていないことが多く、IT担当者も人事異動で順番に担当する役職で、必ずしも専門家ではありません。米国のように複数の専門家と、その下で実務を担うチームを構成できれば、教育的価値とテクノロジーの両面を俯瞰して施策を進められます。しかし日本では、政令指定都市のような大都市でも十分な体制ができているとは限りません。今後はこうした役割を担う人材の育成・確保と、異動時の確実な引き継ぎが課題です。
自治体に情報システム課を置く例は増えましたが、教育委員会は基本的に独立した組織であり、自治体全体のシステム運用と単純には結び付けられません。教育委員会から見ると、市町村の情報システムが別会社のインフラのように感じられることさえあります。
GIGAスクール構想以前は、教育予算の中心は校舎建設や人件費でした。現在は端末などを一斉導入するため予算規模が大きくなりましたが、組織体制や予算執行の仕組みは従来のまま、新しい情報インフラの構築まで担っています。そこには専門家の視点が欠かせません。
ただし、成功事例は増えています。自治体も、まず小さな成功を積み重ね、「このように進めればできる」という経験を得ることが大切です。発注者として賢くなれば、企業もより効果的な提案をするようになります。
自治体側も「何でもお任せ」ではなく、自分たちが何をしたいのかを言語化しなければなりません。専門用語でなくても、「こんなことがしたい」「これができたらいい」というイメージを伝えることが第一歩です。生成AIが発達しても、使う側に目的意識がなければ役立ちません。生成AIとの問答を壁打ちのように重ねることも、発注者として考えを磨く助けになるでしょう。
私は翻訳家として、自治体、教育委員会、ICT企業の意思疎通が円滑になるよう支援したいと考えています。最終的には、三者がそれぞれの役割を明確にし、私のような翻訳家がいなくても話が通じる状況になるのが理想です。
GIGAスクール構想第1期に中学3年生だった人は、すでに大学生や社会人になっています。GIGAスクールを経験した世代が社会の前線に出てきたことで、変化はさらに速くなるでしょう。現在の50代、60代も、新卒時代からパソコンを使ってきた世代です。社会全体にデジタルの経験が蓄積されたいま、これまで10年かかっていた変化が、1年以内に起きることもある。私はそれを、とても楽しみな状況だと捉えています。
自治体、教育委員会および学校、ICTベンダーの三者の間には、それぞれの立場や考え方、ICTに対する意識の違いから、すれ違いが生じていることが問題なのですね。たしかに単純なリテラシー問題としてではなく、「現実的にどう折り合いをつけるか」が課題であり、そのためには三者それぞれの立場を理解できる仲介者がいれば、よりスムーズに意思疎通できることもわかりました。私もICTを伝える側としていつも楽しくお話を伺っていますが、改めて、読み手と発信者の間に意識の乖離が生じないようにしなければならないと考えさせられました。次回もよろしくお願いします。本日はありがとうございました。
- 第1回:奈良発GIGA先行と県域共同調達の舞台裏
- 第2回:奈良市が実践した「1人1台」が成功した理由とは?
- 第3回:なぜあの時、奈良県は成功したのか?GIGA端末の共同調達実現への道筋を振り返る
- 第4回:ネットワーク分離?ゼロトラスト?ネットワークの在り方で悩む教育現場の現状と対策
- 第5回:校務DXとデータ利活用 ~ダッシュボードが見せる「新しい学校のカタチ」~
- 第6回:「明るい不登校」という選択肢 ~ICTが拓く、誰一人取り残されない学びの保障~
- 第7回:デジタル・シティズンシップ教育への転換 ~「禁止」から「活用」のルールメイキングへ~
- 第8回:世界から見た日本のGIGAスクール ~韓国・台湾での登壇で見えた現在地と未来~
- 第9回:教育ICTの“翻訳家”として ~自治体・企業・学校の「言葉の壁」をなくす~
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