2021.10.11
印刷市場の低迷が続く中、比較的好調に推移しているのが軟包装の分野だ。デジタルシフトにより紙媒体離れが進み、縮小を余儀なくされる印刷分野がある一方で、包装材は、商品のトレンドが変化しても必要とされ続ける。先行きが不透明な現代において、生き残りをかけて新たなビジネスにチャレンジしようとする際、残された成長分野ともいえる軟包装市場は有力な選択肢となり得るだろう。では、これから軟包装市場に新しい一歩を踏み出そうとする会社が、成功率を高めるために何をすれば良いのだろうか?印刷業界では今後何が求められるのか?印刷ビジネスのスペシャリストとして多くの経営戦略やM&Aに携わる山田コンサルティンググループ株式会社の久保俊一郎氏に、市場の展望や参入についての考察を聞いた。
「近年、印刷業全体の市場規模は縮小の傾向にありますが、軟包装印刷は年率1.3%程度の成長で推移している分野です。全体観としては極めて厳しい市場にありながら、軟包装は相対的に魅力がある分野だといえます。市場参入に当たっては、軟包装がどの産業に使われているのかを理解しておく必要があります。軟包装印刷市場の需要構成を見ると、約66%が食品分野で使われており、2番目に多い日用品と合わせると、この2分野で全体の8割強を占めます。新規参入の検討にあたり、市場推移の把握と産業別のマーケットニーズを捉えることが重要と考えています」
なぜ縮小傾向にある印刷市場において、軟包装分野は堅調に推移しているのだろうか。その鍵は、軟包装で大きな割合を占める食品分野のニーズにあるようだ。
「コロナ禍において、持ち帰りや食品ECの需要が増えています。また、個食化に伴い、個別パッケージも増加し、結果として包装材の需要が増加していると考えられます。国内の食品ECの普及率はまだ低いですが、海外の傾向を見る限り、今後の市場の成長は期待できると思います」と久保氏は分析する。
「食品分野が多いということは、センシティブな商品を取り扱うことを意味します。軟包装は、印刷だけではなく、製袋や充填作業を請負う場合も多く、「安心・安全」が重要なキーワードになります」
コロナ禍で需要が増えている医療、医薬品分野も同様だという。厳格な品質管理が求められる分野に対応するためには、相応の品質を兼ね備えることは極めて重要であり、業界についての理解や製作のノウハウが成功する確率を高める要素となりそうだ。
また、スモールスタートで新規参入したい場合には設備導入のための初期投資が障壁となるケースも多い。市場参入をより現実的なものにするために、いくつかのアドバイスを聞いた。
「事業再構築補助金など、公的補助金を活用することもひとつの道です。印刷業の中でも、業態転換などで事業再構築補助金を申請するケースも見られます。但し、採択されるには、売上高減少要件を満たしていることに加えて、事業再構築指針に示されている各類型の要件を全て満たす必要があり、それを踏まえたプランニングが必要になります。
また、既に設備を持っている他社とアライアンスを組んで事業を展開するというやり方もあります。自社に不足している機能(リソース)を他社と資本提携、又は業務提携することで補い、稼働の空いている会社と組んで事業を行うことも有効です。非稼働時間を収益化することができるので、双方の利益が期待できるかもしれません」
設備に投資をするのではなく、M&Aを活用し、事業投資という方法もある。大手企業は海外進出の為に海外法人を取得するケースが見られるが、中堅・中小企業は自社の不足機能を獲得するためにM&Aを選択するケースが多いという。山田コンサルティングは、年間2000件ほどのコンサルティングを請け負っており、そのうち700件ほどが製造業で、印刷業からの相談も多い。印刷業界全体の特徴として、その大半が中堅・中小規模の企業であることから、1社単独では競争に勝ち残れない、後継者不在による事業承継などの理由でM&Aを検討するケースが増えている。また、昨今、SDGsに対する市場のニーズが高まり、M&Aによって環境対応機能を取り込む事例もでてきていると久保氏は解説する。
「軟包装事業は設備産業ですから、設備の導入と製造品質の構築により製造することは可能です。しかし、新規参入の際はそれに加えて、業界内でのプレーヤーとどのように戦うのかを検討しておくことが重要と考えます。自社の強み(コア)を生かし、他社との差異を明確にし、競合に対してどのように優位性を発揮し、シェアを取るかを事前に検討しておくことが重要です。新規事業開発のご支援において、強い会社に共通しているのは、アイデアだけでなく、自社の戦い方を明確にし、事業計画まで作成していることです。マーケットが伸びている、儲かりそうだ、という観点だけではなかなか難しいと考えます」
競合と同じやり方で参入すれば、当然大手の方が取り扱うロットも大きく、製造品質がすでに確立されているため、QCDS(Quality/Cost/Delivery/Service)ではどれも勝ち目がない。コンサルティングの現場では、クライアント企業のコア技術やノウハウを深掘りする「プロダクトアウト」の観点と、買い手のニーズを起点にした「マーケットイン」の観点の両方を基に勝てそうな領域を選定していくことが多いという。
新規参入では、商流も気になるポイントの一つだ。商業・一般印刷ではWebサイト内から印刷物の発注ができるWeb to Printが活発である一方で、軟包装の通販サイトは日本ではまだほとんど見られない。多重下請け構造が根付く印刷業界において、発注者と直接取引を行うWeb to Printにはビジネスチャンスがあるのではないだろうか?
実際、海外ではePac Flexible Packaging社を代表に、デジタル印刷機で軟包装の生産を行う企業が、個人事業主や小規模のブランドオーナーをターゲットとして目を見張るほどの成長を遂げている。顧客である個人事業主や小規模事業者は、自社商品への強いこだわりがあるものの、最低発注ロットの大きさがネックでパッケージ制作を断念せざるを得ず、既存の袋を購入し、ラベルを貼ることで対応していた。パッケージにもこだわり、手軽にWebで少量発注したいというニーズは、表面化していないだけで、間違いなく日本にも多く潜在するのではないか。
「軟包装の分野でまだWeb to Printが浸透していないのは、やはり食品や日用品を取り扱うという特性が要因のひとつだと考えられます。手軽に発注できる一方で、発注者はその会社の品質検証ができない。そこをクリアできれば、日本は小ロットにフォーカスしている競合がまだ少ないという意味で、ビジネスチャンスはあるかもしれません。例えば、個人事業主が既存の袋を購入しているような大型の文具・生活雑貨店のようなところと組んで認知を上げていくなど、方針は様々あるかと思います。
また、食品メーカーへの差別化の観点として、高付加価値パッケージに注力することも選択肢の一つです。昨今、環境問題が取り沙汰され、再生可能な生物由来の資源を原料にしたバイオプラスチックが注目されています。バイオプラスチックの市場予測は、2024年までに年率11.5%の成長が予測され、軟包装市場の成長率の10倍にもなっています。サステナブルな素材を活用する、というのはクライアントのニーズを満たすことになり、競争優位性となり得ることから、素材メーカーと連携によるパッケージフィルムの開発も検討価値があるかと考えます。
環境対応では、素材メーカーとのコラボも非常に多く見られます。特にバイオプラスチックは欧州を中心として進んでいますが、ダノンやネスレといったエシカルな取り組みに積極的な食品メーカーは、生物由来の循環型パッケージに注力しています。日本でも今後このようなトレンドはより高まってくるのではないでしょうか。
軟包装は食品が7割弱を占めることを考えると、やはり食品メーカーの需要を捉えることは重要だと考えます。食品業界では、「冷凍」がひとつのキーワードになっています。料理時間の短縮や、食品ECの高まり、食品ロスの課題などにより、冷凍のニーズは高まっています。食品のロングライフを実現する冷凍において、鮮度を保つことができるパッケージは付加価値が高い為、これらのマーケットニーズを捉えるのも業界構造を覆す機会となるかもしれません。近年、冷凍の技術は上がっており、これまでは、肉や魚のドリップによる品質劣化が課題でしたが、様々な技術により、品質を維持することが可能となってきています。そして、その後は包装材の機能が重要になり、品質を劣化させないパッケージであることは差別化となると考えます」
このように、食品や日用品における課題や市場のニーズの変化を捉え、自社の強みを掛け合わせて事業計画に取り込むことが重要だ。軟包装市場への新規参入では、他社との差別化となる環境対応や、冷凍・ボイル・電子レンジ対応といった高付加価値印刷を提案することで、「既存のコンバーターと戦わない」という方法を取る、または、既存のコンバーターがターゲットとしない小ロット案件を、デジタル技術を活用して対応する、などいくつかの戦略が考えられそうだ。
「企業は持続的な成長を目指さなければならないため、今のままで良いということは決してありません。既存設備においても、市場のニーズに応えるべく、常に試行錯誤しなければならないと考えます。昨今のクライアントの課題においてサステナブルは欠かせません。高機能化の為に複合化した軟包装はリサイクルが難しいという側面がありますが、今後単一の素材開発もあり得るかもしれません。また、プラスチックを紙やパルプ素材など環境負荷の低い代替材へ切り替えるといった素材提案をしていくなど、常にニーズに対応する企業努力が必要だと思います。
さらに、コストに目を向けて、DXを活用した製造の効率化に着手することも有効です。例えば、省人化の観点から自動搬送機を導入し、工程の自動化などでコストを創造しながら利益を捻出されている企業もあります。
市場規模が減少していれば、起死回生を求めて変わらなければならないというのはよくわかります。しかし、事象が発生してから検討するのではなく、経営者は、短期計画に加えて中期、長期といくつかの時間軸をもって戦略を検討するべきだと考えます。目の前の仕事を行いながら収益を上げ、同時に減少トレンドも想定し、中期的な3年や5年、そして長期的な10年という全視点で考える必要があると思います。短期的に単年度の目標を達成することは最重要ですが10年後に果たして今のマーケットが維持されているでしょうか。ダウントレンドに入った時には、企業体力も現在とは異なるかもしれません。当然、競合も何とかしなければと同じことを考えますから、極めて厳しい戦いになると思います。良い流れの時にも先を見据え、外部環境を考慮しながら、手を打てるように備えておくことが重要です。
例えば、軟包装市場は、今は成長していますが、逆風としては脱プラスチックなどの動きもあるわけです。欧州などでは、プラスチックごみの削減に向けた規制が強化され、純粋にプラスチックの利用を減らす傾向にありますし、この大きな流れは続いていくのではないかと思います。そうなれば、長い目で見た時に、各社がどうするのかを考えておかなければなりません」
パッケージは、お客様と商品とをつなぐ架け橋である。市場の課題に真摯に向き合い、柔らかな発想で、他にはない機能性や意匠性、独創性を追求し、自社の強みを活かした軟包装を提案できれば、きっと新しい道が見えてくるに違いない。豊富な業界知識と実務経験に基づく有識者の言葉には重みがある。今回インタビューで語られた久保氏の言葉から、何らかの気づきを得られた方も多いのではないだろうか。それは、市場参入の意義や既存ビジネスの発展を考える旅の始まりかもしれない。もしも、本記事によって少しでも迷いが晴れ、次なる成長を目指す足がかりとなれば、こんなに嬉しいことはない。
【インタビューを終えて】
株式会社日本HP
デジタルプレス事業本部
マーケティングマネージャー
西分美喜
グローバル規模で環境意識が大きく前進する中、環境対策は間違いなく一つの鍵となるはずだ。久保氏へのインタビューを通して、変化するパッケージ発注者(ブランドオーナー)の動向を学び、その考えを新たにした。我々が扱うデジタル印刷機は、必要な時に必要な分だけ印刷ができ、余剰在庫や損紙を削減できるなど、環境に配慮した構想を持つ為、こういった環境要件との親和性は高い。加えてHPは、環境問題の解決に向けてグローバル規模で積極的に取り組み、各分野での協業も活発に行っている。HP Indigoデジタル印刷機で使用可能な生分解性フィルムや、ボイル・電子レンジ対応向けの高付加価値包材などの共同開発も行っており、軟包装分野への巨額の投資を続けている。軟包装事業への進出に関心のある方はぜひ一度、HPに相談をして欲しい。