2019.10.23
クラウドの会社が体現して見せたロケーションフリーな働き方
2019年1月、日本テレワーク協会が主催する「テレワーク推進賞」で、NTTコミュニケーションズ、大同生命、ユニリーバ・ジャパン・ホールディングスといった大企業と並び「優秀賞」を獲得したFIXER社。米国マイクロソフトが認定する最高位のパートナープログラムである「Azure Expert MSP」を獲得するなど、IT業界では知る人ぞ知る存在の同社だが、会社設立は2009年、従業員数は162名(2019年5月末現在)のベンチャー企業だ。FIXERが並み居る大企業とともにテレワークへの取り組みで高く評価されている要因は何なのか? どうやら、単なる「働き方改革の優等生」といった範囲には収まらないさまざまな狙いや効果があるようだ。「テレワークは経営体力に余裕のある大企業だけのものではない」ということを実証する同社の取り組みを、現場でテレワーク推進に奔走したキーパーソン2人に話を聞いた。
FIXERの松岡清一社長は、国内トップクラスのクラウドサービスベンダーとして、かねて全国に足を向け、さまざまなセミナーやカンファレンスで発信を行ってきた。その一環として2014年11月に訪れた三重県主催の産業セミナーで、同県の鈴木英敬知事と出会ったことが、同社のテレワーク推進のきっかけになったという。
島田紗也加(以下、島田)氏:その日、松岡は鈴木知事から三重県の実情をいろいろとお聞きしたようです。県内にはITに力を入れている大学や高専(高等専門学校)が複数あり、若い技術人材の育成を進めているものの、その多くが就職のタイミングで県外に流出してしまっていること。そして、もしもFIXERのような先進企業が三重県内に拠点を構えてくれたなら、県の活性化につながるのだという話を熱く語る知事に松岡は強く共感し、拠点設立を約束して帰ってきたのです。
株式会社FIXER Marketing Specialist 島田 紗也加氏。広報の立場で、同社の三重県拠点の開設とテレワークの導入・推進を担った。
田鎖美穂(以下、田鎖)氏: 当時、私は人事と広報を統括しており、島田は同じチームで広報を中心に担当していたメンバーでした。三重県での講演を終えて戻ってきた松岡の話を聞いて、正直かなり驚きました(笑)。会社の新しいチャレンジに参画し、そのことが今日までの会社の歴史を紡いでいることをとてもうれしく思います。
株式会社FIXER Universal KIDS HeadMaster 田鎖 美穂氏。三重県拠点の開設とテレワークの導入・推進では、人事の立場で携わった。現在は、新規事業である子ども向けプログラミング教室「Universal KIDS(ユニバーサルキッズ)」のヘッドマスターを務めている。一児の母。
トップが強力なリーダーシップを発揮するというのは、ベンチャーにはありがちな展開ともいえるが、FIXERの現場はその後が普通ではなかった。
島田:確かに大きな方向性は社長の松岡が示しますが、そもそも私たち現場も新しくて前向きなチャレンジが好きなメンバーが集まっている会社ですから、「やらない理由」を上申する暇があったら「やることを前提にして動き出す」のがいつものパターンです(笑)。この時もすぐに三重県への長期出張の必要性を現場から訴えて、田鎖と私で現地入りしました。
現地入りした2人は県・市の担当者と共に拠点開設準備を進め、翌2015年、三重県津市に開発拠点となる「FIXERクラウドセンター」が産声を上げた。松岡社長と鈴木知事が出会ってから1年後のことである。このスピーディーな進出が実現できた背景には、FIXERがクラウドサービスの会社であるという点も寄与しているが、何よりも新しいことに現場が率先して前向きに取り組む社風の影響が大きいことがうかがえる。
それでは、FIXERが三重県に開発拠点を設け、ロケーションフリーな働き方に踏み切った目的とは何だったのか?
田鎖:大きく3つの目的を定め、皆で共有しました。1つ目は、三重県の地方創生にITの力で貢献していくこと。2つ目は、IT人材が豊富な三重県で優れた人材を採用・育成していくこと。そして3つ目が、クラウドサービスの企業としてどこよりも充実したロケーションフリーな働き方を、従業員や顧客に示していくことです。
現在、どの企業にとっても将来性のある若い人材の確保は年々困難になっているが、とりわけ中小規模企業にとっては今後を生き抜いていくためにはこの採用問題にどう取り組むかが10年後、20年後を見据えた際の分かれ目になるだろう。また、IT関連企業にとっても激化するエンジニア争奪戦に勝ち残る上で、地域との連携にはメリットがあるということだ。それ故に、田鎖・島田の両氏は、拠点がオープンする前のタイミングから三重県内の大学や高専に協力を要請し、学生向けのイベント開催などを通じて人材発掘に努めていった。
ここまでの話だけならば、実に順風満帆だったように感じるが、現実には多くの問題が浮上し、その対策に当たる機会も多かったようだ。
島田:クラウドサービスを事業としている会社ですから、基本的な技術上の課題は自前で解決できました。しかし、ロケーションフリーな働き方を東京と三重で同時進行するためには、いろいろなルールや取り組みが必要です。何よりも懸念されたのはコミュニケーションの問題でしたので、まず「社内メール禁止」という思い切った決め事を設けました。
いかにネットワークでつながっていようとも、物理的に離れた場所にいる人間と密接なコミュニケーションが取れなければ、1つの拠点で皆が働いてきたのと同じパフォーマンスを出すのは難しい。その対策として「Slack」や「Microsoft Teams」といったリアルタイムチャットをベースとするコミュニケーションツールを導入する企業は少なくない。FIXERも当然その措置を執ったのだが、従来の電子メールでも並行してコミュニケーションを取っている状態では情報共有に必ず問題が発生すると考え、社内向けの連絡ではメールを一切使わないことを決めたのだという。
島田:もちろん、社外のお客さまなどとのコミュニケーションではメールを使いますが、社内の複数のメンバーとメールによってリアルタイムな情報共有をしていこうとすれば、情報共有漏れや、宛先をいちいち設定し直すなどの煩雑さが発生してきます。SlackやTeamsを導入するからには、コミュニケーションツールを絞ってしまわなければ、どのツールを見たかによって情報共有の度合いが違ってきたりして、かえって混乱を招くことになる。それならば社内については「メール禁止」ということにしてしまおうと決めたのです。
田鎖:この決め事をスタートした当初は多少の混乱もありました。新しい事に前向きな社風ではありますが、やはり多少の“ザワザワ感”はありました。しかし、想像以上に早いタイミングで皆が新しいコミュニケーションの仕方に慣れていきました。
技術環境が整い、新しいツールを導入しさえすれば容易に実現するわけではないところが、テレワーク推進のハードルだ。しかし、FIXERは持ち前の技術力に過度に依存することなく、新しい働き方を成功させる鍵として、「技術だけでは埋まらない社内コミュニケーションの在り方」に着目した。それが功を奏したわけだ。
業績の好調さも相まって、テレワーク導入後は各拠点で働くメンバーも順調に増えたというが、その後もさらに社内に呼び掛け、Slack上のアイコンを全て顔写真に限定する、といったきめ細かなルールも定め、社内で徹底を図ったという。「チャットとはいえ、顔の見えない相手とコミュニケーションするよりは、写真だけでも見えていた方が確実に親密度が上がります」(島田氏)というわけだ。最近では、若手メンバーを中心に自発的にオリジナルの絵文字・スタンプを作成するエンジニアも増えているらしい。
島田:殺伐としがちな文字でのコミュニケーションにおいて、絵の存在が有効なことは皆「LINE」の利用などでよく知っています。オリジナルの絵文字・スタンプが増えていくことで、むしろ口下手な社員が「以前よりも社員同士のつながりが密になった」と言ってくれたりもしており、社内コミュニケーションの質は上がっていると感じています。
さらに「ビデオ会議システムの常時接続と大画面モニターの設置」という工夫も行われた。要は、どの拠点ともテレビ画面を通じて常につながっており、向こうの様子が見えるようにしたのだ。
田鎖:もちろん、ロケーションフリーで会議をするためのツールとしても活用しているのですが、それとは別に離れた場所にあるオフィスやそこで働いている人の様子がいつでも大画面を通じて見えるようにすることで、相互理解にもつながっていくと考えたのです。当社では月に一度入社歓迎と社内交流促進を目的とした社内懇親会を開催していますが、今では画面を通じて東京と各拠点で同時に懇親会を開催する、という使い方もしています。会社の部活動として毎週東京オフィスに専属トレーナーを招いてマラソン部の活動を行っていますが、その際に各拠点を画面でリアルタイムに共有しながら一緒にトレーニングを行ったこともあります。
現場主導だからこその細かな配慮と対応、そして前向きな企業カルチャーだからこそ、離れ離れの環境を楽しんでしまうような取り組みによって、FIXERはコミュニケーションの壁を乗り越え、むしろそのクオリティーを引き上げているのである。
以上のように、2015年の三重拠点設立とともにスタートしたFIXERのテレワークは、課題に直面しつつも前向きな対応で順調に定着。業績も伸び、地域採用者を含め人員数も拡大、今や名古屋、四日市、金沢にも国内拠点を構えるに至った。ここまでの経緯を2人はどう捉えているのだろうか。
島田:当初、技術面や設備・ハードウェアの面では苦労した点もありました。大人数でのビデオ会議の際にネットワークがつながりにくくなったり、音声が飛んで聞き取りづらくなったり、映像の共有の仕方に戸惑ったりとさまざまです。当然、モバイルでの活用も前提にしながら、利用するデバイスの選択にはかなりこだわりました。また、大前提として、システムやデバイスにおけるセキュリティについては十分に対策する必要がありました。しかし、そのような課題は社内ITチームを中心に全社一丸で試行錯誤を重ね、こつこつと改善することで解決していくことができました。また、ビデオ会議システムについては自社プロダクトとして開発中のものを用いることで、製品の改良にもつなげていきました。全社員がユーザーとして実際に利用することでユーザビリティーは飛躍的に上がっていきました。テレワークへのチャレンジも5年が経過し、今ではインフラシステムやハードウェア、デバイスやソフトウェアなど、あらゆる面で理想的な環境を築き上げることができたという自負を持っています。
近年、テレワークや遠隔会議を支えるデバイスの進化は著しく、音声だけを簡単に拾え、周囲の雑音をカットしたクリアな音質を実現するものなども市場に出始めている。協働作業を遠隔で円滑に行っていくためには、実はとても大切だったりもする。このようにデバイスをはじめとしたツール選びを正しく行うことで、テレワークの導入や推進は大きく前進することになりそうだ。
島田:地域創生に貢献していくためにも、現地との交流の機会を増やしていきました。例えば、2020年度より小学校で必修化となるプログラミング教育の実施に向けて、三重県の教育委員会、小学校と連携し、プログラミング体験授業を一緒に行うという経験を得ることもできました。地元との交流が深まることだけでも企業としては意義のある活動ですが、こうした試みがまた新たなビジネスチャンスにつながる可能性も見えてきています。
田鎖: 三重で実施した教育機関との連携の成果から、そのノウハウを東京で子ども向けのプログラミングスクールとして事業化しようという流れになりました。私事ですが、ちょうど育児休暇から復職した時期で、子どもの未来をつくる活動にとても魅力を感じ、志願してこの事業を担当させてもらうことになりました。これもまたテレワークが生み出した成果の一つです。
FIXERの地域との連携の中から生まれた新規事業「Universal KIDS(ユニバーサルキッズ)」は、子ども向けのプログラミングスクール。JR田町駅直結の教室で、小学生を中心にプログラミングの基礎が学べる講座が用意されている。
田鎖氏がヘッドマスター(学校長)を務める教育事業では今後、国内47都道府県でのプログラミングキャンプの開催など、拡大に向けた準備が着々と進められている。ここでもロケーションフリーでプログラムを円滑に、かつセキュアに進めていくために、どのようなシステムやデバイス、ツール類が有効なのかということを把握していることのアドバンテージが生きている。しかし、FIXERがテレワーク推進で得たプラスの効果はそればかりではないようだ。
島田:ロケーションフリーな働き方が全社員レベルで定着したことは、当社のグローバル化を後押ししました。日ごろから距離の離れた場所にいる人と同時進行で無理なく働けるのであれば、何も国内だけでなく海外に目を向けてもいいじゃないか、という意識が高まったこともあり、2017年にはサンフランシスコに現地法人を設立しました。さらにUpworkなどの人材プラットフォームを通じて、クラウドソーシング人材を登用していくようにもなりましたし、オフショアでのパートナー企業との連携も膨らんでいます。
まだ日本では普及が進んでいないものの、欧米ではUpworkをはじめとするクラウドソーシングの活用がエンジニアの間で一般化しつつある。会社に所属するのではなく、Web上のプラットフォームでのマッチングを通じて、プロジェクトごとに技術者として働き、報酬を得ていくスタイルは、特に腕に自信のあるハイクラスのエンジニアなどに受け入れられている。もちろん、この傾向に注目し、欧米の優れたエンジニアの登用を進めたいIT企業は日本でも少なくないが、言語の問題に加え、遠隔地との協働に自信を持てず、ためらっている企業も多い。FIXERはテレワークによって得た自信を背景に、こうしたチャレンジにも乗り出し、すでに多くの海外居住者と共に開発を行っている。
FIXERの取り組みを見れば、テレワークが「国の要請する時短優先の働き方改革を実現するためだけのもの」でなければ、「余裕のある大企業だけが活用できるもの」でもない、ということが分かるだろう。優れた人材を地域や国の境界線に邪魔されることなく発掘・育成・活用するチャンスをもたらし、社内のコミュニケーションをむしろ進化させ、向上させる。さらには、新たなビジネスチャンスや新規事業開拓のきっかけにすらなり得る。そんないくつもの成果を得ている企業があるのだから、いずれテレワークを導入できない企業は窮地に立たされる。そう言っても過言ではない時代が到来しようとしている。
【本記事は JBpress が制作しました】
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