2020.01.31
東京大学・秋山弘子特任教授が取り組むこれからの課題解決法とは
ジェロントロジー(老年学)を専門とする東京大学・高齢社会総合研究機構の秋山弘子特任教授。20年にわたる全国高齢者調査などに取り組む。
「人生100年時代」という言葉が象徴する、長寿社会の到来。そして、少子高齢化の波。総務省統計局による最新の調査では、総人口に占める高齢者の割合は28.1%と過去最高となっている。だが、社会制度や住宅などは数十年前から大きく変わっておらず、長寿社会に最適化されているとは言い難い。そのことが、さまざまな社会課題を生み出している。
この状況を打破するにはオープンイノベーションが不可欠だと話すのは、長寿社会に最適化された社会や人の在り方を研究している、東京大学 高齢社会総合研究機構の秋山弘子特任教授(以下、秋山氏)。秋山氏が進める「鎌倉リビング・ラボ」プロジェクトのような、産学官民が連携できる「場」をつくることの意義を中心に語っていただいた。
冒頭で触れた通り、今や日本国民の28.1%が高齢者だ。しかし教育制度や雇用制度など「社会制度」といわれるソフト面、移動手段や住宅のようなハード面どちらのインフラも、今の社会に対応したものにはなっていない。また、人生50年から100年時代への移行により、個人の生き方、ライフデザインもおのずと変わる。事実、秋山氏によれば老後に対する個人の考え方はずいぶんと変化してきているという。
「団塊世代あたりから、定年後のセカンドライフについて考えるようになってきています。数年前、50歳から64歳くらいまでの方(次世代の高齢者)を対象に定年後やりたいことについて調査しましたが、そこで一番多かった回答が“働く”。二番目が“自分を磨く(学ぶ)”でした。定年はセカンドライフのスタートライン、と考える人が増えてきているのですね」
日本の高齢者の多くは、定年退職後も働き続けたい、現役でありたいと願う傾向にあるという。若い世代に支えられる側に回るのではなく、定年後も支える側の存在でいたい。社会に寄与したい。そう考える人が増えているというのだ。
医療の発達により、生命としての「平均寿命」や人生を謳歌するための「健康寿命」は延ばすことができた。次に社会人としての「貢献寿命」を延ばそうという向きへと変化してきている。
人口構成の変化に追いつけない社会の現状が、さまざまな課題を生み出している。しかし、解決すべき課題が多いということは、イノベーションの宝庫ということだと秋山氏は話す。
「日本は長寿社会のフロントランナーです。世界に先駆けてさまざまな問題に対処していかなければなりません。つまり、日本にはモデルとして参考にできる国がないのですね。また、他のアジア圏の国は経済成長と高齢化が同時に進んでいるので、高齢化への対処は後回しにせざるを得ないという事情もあります。そういった意味で、経済的な成長を遂げた後に高齢化が顕在化した日本の取り組みは、アジア圏の国をはじめとして世界中の注目を集めています」
経済成長と高齢化社会という課題が両立している場合、優先されるのは経済成長だろう。日増しに大きくなる高齢化という社会問題に対処したい気持ちはあるが、下手な手を打っては経済成長を止めることになってしまいかねない。このようなジレンマを抱える国々は、自国の課題を解決する糸口になるのではと、日本の企業や政府による長寿社会への取り組みに興味津々だ。
「長寿社会の課題は非常に広範囲に及ぶ上に、複雑です。そのほとんどが一つの企業の力で解決できるものではありません。オープンイノベーションで分野の異なる企業や大学、行政、そして実際に生活している人と共創していく必要があります」
高齢化という社会問題に対処するには各企業や団体、生活者が共創してイノベーションを興こす必要がある。そのために用意された開かれた「場」が、秋山氏らが取り組んでいる「鎌倉リビング・ラボ」なのだ。
秋山氏らが進める「鎌倉リビング・ラボ」プロジェクトは鎌倉市と、鎌倉市の中でも特に高齢化の進む住宅団地である今泉台町内会(NPO法人タウンサポート鎌倉今泉台)と東京大学高齢社会総合研究機構、三井住友フィナンシャルグループなどが連携してオープンイノベーションのプラットフォームを構築し、長寿社会の課題を協働して解決する場となっている。
同プロジェクトは特に大企業から大きな期待を寄せられているというが、その理由を秋山氏はこう分析する。
「高齢者市場が大きいことは分かっているが、どういう切り口でアプローチしてよいかわからない、という企業が多いですね。高齢者はそれぞれ身体機能や認知機能、経済状況やライフスタイルが異なります。非常に多様なので戸惑います。本当に何が求められているのかを知りたい、という声は多いです」
鎌倉リビング・ラボでは日本中の企業が持つ技術やアイデアなどの情報を集約し、産学官民で課題解決にあたる。具体的には下記の3タイプのプロジェクトに取り組むことで、日本の社会制度や企業文化にふさわしいリビング・ラボの体制づくりや、ビジネスモデルの創出を進めているという。
このうち、一番重要なのが「生活者の課題を解決する」ことだ。
秋山氏は例として、特に高齢化率が高い分譲地を「若い世代が住みたいと思う街にしたい」という住人の声をもとに行われた「同地域にテレワークの理想的なコミュニティをつくる」というプロジェクトについて教えてくれた。
同目標の達成にあたり、初期のプロジェクトということもあってホームオフィス用家具一つ作るにも通常の1.5倍ほどの時間がかかったという。しかし、同プロジェクトでは最初から住民のアイデアを取り入れて設計し、住民に家具を使ってもらい、リアルタイムでフィードバックを受けながら製作を進めていったため、企業は「住人が必要としており、使いやすい物を作っている」という確信を持つことができた。言わばテストマーケティングをしながら、市場に出す製品を作っていくことができたわけだ。
企業としては、すでにできているプロトタイプを生活の場でテストして改善したいという需要もある。この場合、リビング・ラボではまず専門家グループを構成して評価の枠組みとチェック項目を検討して決めた後に、実際に住人に製品やサービスを試してもらって意見を聞く。そして改善点や要望をまとめて企業に返すサイクルを回していく。
一方で、中には全くのゼロベース、アイデアを探す目的でリビング・ラボを訪れる企業担当者も少なくないという。この場合も、リビング・ラボという開けた「場」で住民の生活を見つめ、意見交換することで、新たな課題やアイデアを発見できる可能性が高い。
そして現在、ものづくりだけでなく、行政の課題を解決するため、市民と政策・施策を共創するスキームづくりも行なっている。鎌倉リビング・ラボは政策作りにもイノベーションを起こそうとしている。
人生100年時代。求められるのは、いつまでも健康でいきいきと、人の絆がある社会を目指すことだ。高齢者市場の大きさは以前から指摘されていたが、これまでは介護需要と富裕層向けの限られた需要に集中していた。市場の8割は未開拓だと秋山氏は話す。特に自立志向の強い団塊の世代は、高齢期を自ら計画して生きる初めての世代で、消費行動に能動的であり積極的だ。このチャンスを生かし、高齢者が活躍する長寿社会に対応していこうとする企業に求められることは何だろうか?
「まず、ユーザーが一番大事だということを忘れないこと。そして、オープンイノベーションの場に出ていくことが大事ですね。自ら積極的にオープンなエコシステムに入っていかないと、長寿社会が抱える課題を解決していくことはできません」
定期的に開催されるリビング・ラボの交流会にも200人近い担当者が集まり、閉会後もなかなか解散しないという。日本ではニーズがありながらもこうした機会が極端に少ない証拠だろう。
最後に、オープンイノベーションで社会課題の解決を目指す意義について、秋山氏はこう語ってくれた。
「同じ課題でも、異なる企業や業種から見たら違った解決策、アプローチが出てきます。そういうのは単純に面白いし、わくわくしますよね。生活者の夢や課題を解決するために、産学官民が協働する。プロトタイプを徹底的に生活の場で検証していく。そのための一つの場が、鎌倉リビング・ラボです。課題先進国の日本だからこそ、オープンイノベーションによって複雑な課題を解決するシステムやサービス、社会のしくみを生み出していくことができればと願っています」
一口に「少子高齢化問題」というと、一企業が取り組むには大きすぎる問題のようにも思える。しかし付随する課題は大小様々で、可能性は無限大だ。産学官民の壁を取り払い、同じ課題を見つめることで、課題解決に留まらない、人生100年時代の新たなライフデザインなどのイノベーションが生まれることを期待したい。
*文:松ヶ枝 優佳
*本記事は 2018年11月30日 JBpress に掲載されたコンテンツを転載したものです