2021.03.08

印刷会社が描くべき生存戦略、未来を拓く鍵は何か…?

自前主義から脱却し、強みを生かした事業戦略を具現化せよ

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新型コロナウイルスの感染拡大により、猛スピードでビジネス環境が変化している昨今。不確かな時代はますます長引き、ビジネスも先行きが曖昧な状態が続いている。それは印刷業界も例外ではない。そんな時だからこそ、今後どのような事業戦略を立て、手を打っていくかが問われている。これからの印刷業界はどこへ向かうべきか。経営のプロフェッショナルファーム、山田コンサルティンググループ株式会社の経営コンサルティング事業本部マネージャー 久保俊一郎氏(以下、久保氏)と同ITコンサルティング事業部 副部長の石塚淳氏(以下、石塚氏)に、今後の経営のあり方について聞いた。

縮小傾向にある印刷業界に足りていないもの

昨今の印刷業界、とりわけ商業印刷の分野は、高速化を続けるインターネットと新たなテクノロジーの台頭により、マーケティング手法やプロモーション活動の変化を受け、平成から続く縮小傾向は今なお続いている。さらに、コロナ禍で人々の生活様式、働き方が大きく変わる中、さらなる変化のあおりを受けつつある。

この概況について、久保氏は「2006年は約7兆円あった市場規模も、2014年までに年平均で2.7%ほど減少しています。2026年までこのペースが続くと市場規模は4兆円にまで縮小し、単純計算で20年の間に3社に1社はなくなることになります」と話す。

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山田コンサルティンググループ株式会社が示す、印刷業界 将来の市場シミュレーション

続いて提示された業種別の資産と自己資本比率の割合のデータからは、印刷業界は投資効率を示すROEが低く、自己資本率は高いことが見て取れる。特に、ROEはさまざまな業種の中でも最低クラスだ。この現状について同氏は「多くの印刷会社はすぐに危機に直面することは考えづらくとも、投資効率は悪いと言えることから、生産性向上は長年の課題」と説明する。

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印刷業界は投資効率を示すROEが低く、自己資本比率は高いことがわかる

この現状は、「新規投資を行って利益を獲得し、継続的成長を狙う」といったサイクルが、他業種に比べて不十分とも捉えられる。あらゆる業界に破壊的イノベーションの脅威が迫る今、各社に変革が求められていることは間違いない。しかし、印刷業界には変革を阻む特有の事情があるという。

次の一手を阻む、印刷業界ならではの事情

印刷業界のもう一つの特徴が、従業員50名未満の事業者が業界全体の約9割を占めていることだ。加えて、前述の通り、印刷業界は自己資本比率が高い傾向にある。過去の収益によって内部留保が多く、財務が一見安定しているように見えるからこそ、他業界に比べて危機感が薄くなっても不思議ではない。しかし、この現状に久保氏は疑問符を投げかける。

「業界が縮小の傾向が続くとしても、短期間で多くの企業が立ち行かなくなることはないかとは思います。しかし、長期視点で考えた時、このままの状態でいいと言えるでしょうか」

コロナ禍でビジネス環境が根本から変わりつつある今、その変化に対応できる次の一手を打たなければ、事業基盤は足元から崩れかねない。変化の時期だからこそ、これまであまり注力してこなかった事業戦略を十分に検討し直し、次の一手を決断すべき時なのだ。

事業戦略で競合差別化を図るための「3つの方向性」

では、経営者が事業戦略を描くにあたって、どのような方向性が考えうるのだろうか。久保氏によると「印刷業界における経営戦略の方向性としては、『バリューチェーンの拡大』『技術特化』『規模の拡大』の3つのパターンが有効」ということだ。

1つ目のバリューチェーンの拡大とは、印刷工程に加え、その前後の領域まで提供価値を拡大することを意味する。例えば、川上の業務であれば、デザイン制作やプロモーションの企画立案といった機能を増やすことが考えられる。データ入力などの業務代行(BPO)、EC支援事業の取り組みなどもこれに該当する。

2つ目は、技術特化による商品の付加価値向上だ。特殊印刷やバリアブル印刷、RGB印刷、後加工での工夫など、特定の技術にいち早く力を入れることで他社との差別化を図ることができる。

ITコンサルティング事業部 副部長の石塚氏によると、「他にも、デジタル技術との融合についても、顧客提案の幅を広げる上で重要性が高まると考えられます。例として、印刷物にARやQRなどのデジタルコンテンツをプラスすることで、宣伝・販促効果をアップさせる施策などが挙げられます。他にも、スクールや学会で使用する資料など、情報量の多い印刷物に関しては電子ブック化のニーズが高く、顧客からも『印刷物も必要なのだけれど、デジタル化したものも欲しい』と言われるようです。特定の業界に入り込み、印刷物にプラスアルファのソリューションを提供することで、より効率よく課題・顧客のニーズに応えることができます」と語る。

3つ目は、M&Aや資本提携による規模拡大とコスト圧縮だ。規模を拡大することで、紙の仕入れコストの圧縮や、重複した機能の統合、人的リソースの転換が可能になる。他にも、デジタル投資による自動化や省力化、需要予測を踏まえた適正な在庫管理、ロジスティクスのアウトソース(またはインハウス化による拡大)なども挙げられる。

自前主義から戦略的提携へと舵を切れるか

中堅・中小企業の目線からこれらの打ち手について考えた時、発想転換が必要なM&Aのハードルは極めて高いように思える。この点について久保氏に尋ねると、「M&Aまでは難しくても、自社に足りない機能に関しては他社と提携をして進めていくべき」と話す。M&Aと聞くと、事業の売却をイメージする方はまだまだ多いだろう。しかし、多くの企業が自前主義の限界に直面しているからこそ、戦略的事業提携を含めた柔軟な発想が求められている。

「例えば、マーケティングの自動化を進める企業が増えている今、そのような企業と提携を検討することも選択肢の一つです。そうすることで、自動化されたプロモーション施策と併せて、DMやチラシの制作、印刷のクロスセルが可能になります。このように、他社とのアライアンスを広げていくことが、生き残りを実現する道の一つではないかと思います」(久保氏)

自社にマーケティングのノウハウが無くても、戦略的提携を行う企業がその強みを有していれば、新たな事業領域への参入が可能になる。もちろん、そこでは印刷業と異なる業種や分野にばかり目を向ける必要はない。事業の多角化を考えるのならば、EC領域を得意とする企業と提携して新たな需要を獲得したり、大判印刷の分野で高付加価値な印刷サービスを生み出したり、といったことも考えられるはずだ。

では、経営者が社外に目を向けて様々な可能性を模索する中、どのような意思決定を下せばよいのか。事業戦略を再考するにあたり、次のような視点が重要だと久保氏は強調する。

「なぜ、その事業に着手するのか、その理由が非常に重要になります。『自社の大義は何か』『なぜ、自社がこの事業に取り組んでいるのか』を明確にして、従業員と対話を行い、計画に落とし込んでいかなければ、事業の方向性はぶれてしまいます。事業戦略の検討において、必ずしも新しいことに取り組まなくても構いません。現在のビジネスの効率化、生産性向上によって持続的成長を目指すことができるならば、それでも良いと考えます」

新たな技術や領域への挑戦は「目的」ではなく、「手段」に過ぎない。だからこそ、経営者が既存事業の「今」と自社の「強み」を見極め、未来を冷静かつ客観的に予測した上で、次の一手を選ぶ必要があるのだ。

事業戦略は自社の強みに立脚しているか

新たな事業戦略を検討する時、必ずと言っていいほど論点に挙がるのが「何を自社の軸に据えるか」だ。バリューチェーンの拡大やテクノロジーの活用、戦略的事業提携など、どの戦略オプションを選ぶにあたっても、「核となる自社の強み」の定義は欠かせない。この点について久保氏は、次のように力を込めた。

「自社の強みは、企業理念やビジョンなどから紐解いていく方法が一つ。もう一つは、自社が創業からどのような施策をとって売上を伸ばし、どのように利益を創出してきたのか、数字で整理する方法があります。売上や利益率は当然上下しています。どのような施策、要因により数字が変動しているのか、その際の施策を深堀りすることで自社の強みが見えてきます」

さらに、既存顧客との関係性についても言及した。印刷業界、とりわけ商業印刷を主とする印刷会社は、他の業界に比べて案件数が多いことが特徴だ。だからこそ、「顧客とのコンタクトポイントの多さを生かすことが重要」という。

「コミュニケーションの中で、既存顧客の課題やニーズをしっかりヒアリングし、それに対してソリューションを提供することが重要なポイントです。例えば、会社に資料やパンフレットを多く持つ企業が、コロナを機にリモートワークに移行するとなると、それらを確認するためだけに出社するのは非効率。そこで、会社に保管している印刷物をすべてデジタル化する事を自社のビジネスにする。そのようにして顧客のニーズに応えている企業もあります」(久保氏)

こうした事例を踏まえると、特定の技術やノウハウ以上に「既存顧客との関係性」の中にこそ、新たな事業戦略を生み出すヒントがあるのではないだろか。縮小傾向にある印刷業界で新たな事業のあり方を考える上では、顧客の課題やニーズを深掘りしたり、顧客の顧客に関して徹底研究をした上で、対峙する顧客が気づいていない変化を提示し、新たな価値を創造したりすることが鍵と言えるだろう。

自社の強みを言語化し、そこに新たな事業戦略を描く

最後に、印刷業界がこれから新たな未来を描いていく上でのアドバイスをもらった。

「印刷は、情報を伝える媒体として極めて重要なツールです。印刷自体がなくなることは考えづらいからこそ、『いかにして付加価値を上げるか』が重要なポイントとなるでしょう。自社の強みをしっかり言語化して、今後の方向性を見出していくことが大切だと感じています」(久保氏)

「他の業界に比べるとデジタル化が遅れてはいますが、下地は十分整っています。今後の取り組み次第では、十分挽回が可能なはずです。コロナ禍ではデジタル印刷機等のまとまった設備投資は難しいかもしれません。まずはワークフロー自動化・オンライン校正や前述のデジタルツール活用など、比較的投資しやすい領域から着手して、デジタルをうまく活用し、変化のきっかけとしていただければと思います」(石塚氏)

財務面の安定は、そのまま今後の戦略オプションの選択肢の多さにつながる。変革を進めるならば、そうした多彩な選択肢が残されている今が好機と言えるのではないか。そして、社会や経済環境の変化が大きい時だからこそ、自社の強みを言語化し、未来を見据えた次の事業戦略を構築し実践すべきだろう。


【本記事は JBpress が制作しました】