2023.07.04

DX時代の非デジタルの価値を考える ~未来を切り拓くビジネスモデルの構築とは?~

Indigo User Conference 基調講演

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人生で初めてインターネットで買い物したときのことを覚えているだろうか。ちゃんと品物は届くのか、どれくらい時間がかかるのか、支払いは大丈夫か……誰しも多少は不安な気持ちを抱いたはずだ。安武氏が1998年に楽天市場に入社したときは、まだ世の中一般に「インターネットで買い物をする」という概念は定着していなかった。ところが、2023年の現在、世界中でオンラインショッピングが当たり前になり、小売店がネット店舗に顧客を奪われるという逆転現象が起きている。わずか20年余りでこのような未来が来ることを誰が想像できただろう。テクノロジーの進化をどう捉え、どう考え、どう行動すべきか?デジタル全盛時代における「非デジタル」の価値とは?日本とアメリカでデジタル化を牽引してきた安武氏が考察し、DX(デジタルトランスフォーメーション)の本質を探っていく。

Junify Corporation
CEO 安武 弘晃 氏

1998年に初期の段階の楽天に入社し、エンジニアとして様々な楽天のサービスを作る。取締役常務執行役員として技術部隊をまとめ 2016年1月に退任。アメリカに移住し Junify というスタートアップの立ち上げを行いながら、日本企業の先端技術やイノベーションを組織・経営に活かすアドバイザリーに従事。2013年よりテクマトリックス株式会社の取締役、2019年より日本 CTO 協会の設立から理事、2022年より株式会社マネーフォワードの社外取締役も務める。

時代の流れとテクノロジーの変化

2010年~2020年頃までの10年間に起きた「スマートフォンの普及」は、社会に大きなインパクトと変化をもたらした。2011年、スマホを持っている人は3人に1人だったのに対し、
2019年には90%もの人が保有するようになったという。今や、スマホを持っていない人はほぼいないといえる。しかし、なぜスマホはこれだけ普及したのだろうか。その背景にある原動力を考え、先を予測することが大切だと安武氏は言う。

「スマホが普及した理由は、便利なだけではなく、値段が十分に下がったからだといえます。どんなに便利でも価格が100万円では買わないでしょう。『利便性が高く、価格が下がる』というバランスがちょうど取れたとき、社会に普及し、変革が起きるのです。データを格納するコストも、過去30年以上指数関数的なスピードで下がり続け、さらにネットワークの伝送コストも安くなっている。2000年から比較すると、およそ17年間で1000分の1のコストになっています。

この傾向は価格だけではありません。1950年代のコンピューターは部屋いっぱいの大きさで、計算能力も高くはありませんでした。1995年に Windows 95 が登場し、計算能力の高いパーソナルコンピューターが家庭にも普及しました。今では、当時からは信じられないような小さくて高性能なスマートフォンが皆さんのポケットに入っています。さらに小さな Apple Watch も CPU やメモリを持ったコンピューターです。このように、テクノロジーは目覚ましい進化を遂げてきましたが、変化はここで終わりではありません。これからも、「速く、小さく、安く」を追求する傾向は続くしょう。そう遠くはない未来に、体の中に埋め込むようなコンピューターも出てくるかもしれません」

左:2015年時点の世界最小のコンピューター。コインの上に乗っている。(出典:https://www.cbsnews.com/news/the-worlds-smallest-computer-university-of-michigan-micro-mote/
右:2017年の世界最小記録で米粒との比較。(出典:https://www.popularmechanics.com/technology/a22007431/smallest-computer-world-smaller-than-grain-rice/

変化に対して、ビジネスや社会がどう変革されていくのか?

安武氏は、DX(デジタルトランスフォーメーション)で変わるビジネスモデルを、自動車産業を例にあげて説明した。従来の自動車メーカーと、世界最先端の電気自動車メーカーであるテスラの違いはどこにあるのか。日本で初めて「モデルS」を購入したテスラ保有者として、その実体験を語った。

「まず、テスラは『販売形態』が違います。自動車の流通は、ディーラー経由の販売が一般的ですが、テスラは完全な直販で、『車を買うという体験』が従来とは全く異なります。 Web サイトで車のスペックを選び、クレジットカードを登録すれば、今この瞬間にもテスラを購入できる。もはや、スマホを購入する感覚で、ネットで車を買えるのです。価格は明瞭で、面倒な交渉も不要なストレスのない購入体験は、それだけでもユーザーにメリットがあります。

デジタルがなかった時代は、幅広いお客様に車を届けようとすると、販売網に頼るほかに道がありませんでした。ところが、テスラが出たときは、インターネットやスマホが発達し、お客様と直接関係を結ぶことができるようになっていました。間接であるか直接であるか、このビジネスモデルの違いが大きな差を生み出しているのです。たとえば、間接販売の場合、一旦商流に流すと、販売価格を変えるのは容易ではありません。ところが、テスラはオンライン直販ですから、柔軟に価格を変えることができる。先日、テスラが今年6回目の価格変更を行ったというニュースが出ましたが、株価の上下に応じて価格を細やかにコントロールできるのも直販ならではです。これが他社との競争においてアドバンテージになっています。

また、『お客様との接点』が、車ではなくアプリであるという点も大きな違いです。テスラを購入後、アプリをインストールし、ペアリングするとそれが車の鍵になります。リモートで空調のコントロールをしたり、鍵を開け閉めしたり、修理の依頼をしたり、アプリはツールでもあり、テスラと顧客をつなぐ接点でもあります。ディーラー経由ではなく、直接顧客とつながることで、テスラは、誰がどのように車に乗っているのかを全て把握しているのです。

車を購入した後も、 Windows update のようにソフトウェアが定期的に更新され、機能が増えていくという、これまでにない体験が待っています。アップセルの機会創出も巧みです。たとえばオンラインで2000ドルの『アクセラレーションブースト』を購入すれば、決済した瞬間に車の性能がアップグレードして速くなるのです。車以外の商品販売や、サブスクリプションのサービスも展開しており、恐らく、自動運転の機能なども今後はサブスクリプションで提供していくのではないかと思います。販売して終わりではなく、その後にも新しいサービスの可能性が広がっている。過去のやり方が「間接・単発」だとすると、新しいビジネスモデルは「直接・継続」だといえるでしょう」

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売り切り型から継続的なサービスの提供へ

このような変化は、自動車業界に限ったことではない。たとえば、かつて CD ショップなどで販売していた音楽CDは、 Apple Music や Spotify などの配信サービスに置き換わっている。 Netflix も DVD レンタルのビジネスを終了して、ストリーミングサービスに完全に移行すると発表した。顧客と直接つながり、サブスクリプションで継続的にサービスを提供するのは、あらゆるところで見られる傾向である。

また、 IT インフラも、機器やソフトウェアを販売するのではなく、クラウド化や SaaS ( Software as a Service )といったサービス提供形態に変化している。時代の流れとともに、ネットワークは速く安価に利用できるようになった。コンピューターなどの設備を購入しなくても、クラウドには必要なアプリケーションをいつでも利用できる環境がある。 AWS がこの10年で急速に成長していることからもクラウドの利用が大きく増加していることがわかる。同様に、 SaaS も2010年から2020年にかけて大きく成長し、初期投資を控えることで経営リスクを抑えるという考え方が定着した。

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「北米では、1000名以上の会社で平均177のSaaSが使われており、北米の37%の企業が自社のインフラを持たずに、 SaaS だけで業務を構築しているといわれています。ITシステムは『保有から利用』へと概念が変わり、それによってセキュリティの概念も変わっています。

SaaS の利用は、ビジネスの成功において重要な要素のひとつだと考えられています。新型コロナウイルスが猛威を振るい、社会に大きな混乱が生じましたたが、ビジネスが継続できているのは、『どこからでも働ける』という環境になったからでしょう。以前の常識が打ち破られるとき、その背景にあるのはテクノロジーの変化です。働き方も、インフラも、セキュリティも、ビジネスモデルも、今この時代に適したやり方がある。未来がどうなっていくかを予測して考え、デジタルを活用していくのが DX の本質ではないでしょうか」

デジタル全盛時代における「非デジタル」の価値

次に、安武氏は、「デジタル」と「非デジタル」の変化について考察した。デジタル化の本質は、効率を向上し、コストを低減することである。一方で、デジタルは、コストが安くなれば参入者が押し寄せ、あっという間に玉石混交となってしまう。それは、eメールのプロモーションで、各社がこぞってメールを送り、大量の読まれないメールで埋め尽くされていることからもわかる。プライバシーの問題も無視できない。データが正しい形で使われれば、より良い商品やサービスにつながるが、情報漏洩や不正利用なども多発しており、デジタル化が進めば、自分のデータが見えないところで使われる恐怖感も増えていく。その点、紙には『データを取得されない安心感』という価値があると安武氏は指摘した。

「 DM や広告は、デジタルになればなるほど見られなくなる傾向があります。一方で、印刷という行為にはお金がかかる。それはある側面から見るとデメリットですが、お金がかかるからこそ、希少性を生み、価値を生むという側面も持ち合わせています。DMは現在でも根強いマーケティングツールですが、希少性をどうやって出すかが重要なポイントであり、顧客のアテンションを引く上ではデジタルよりも紙に軍配が上がります。デジタルはコストが下がり続け、逆に非デジタルの価値が相対的に上がっているのです。

アメリカでは、紙に印刷された分厚いクーポン冊子が頻繁にポストに投函されますが、エンターテイメント性があり、コミュニケーションツールとしても楽しめるものになっています。パーソナライズされた DM も活用されており、アメリカでは、大学進学を控えた生徒に対して、個人名を含むドメインを印刷して大学紹介の DM を送るというマーケティング施策も見られます。対象者に同じものを一律で送るのではなく、パーソナライズすることで、受け取った側は大学の取り組みやオファーに関心を持ちやすく、大学側は、誰がページにアクセスし、誰が応募したかという情報を正確にトラッキングできるのです。このように、 DM は紙でインパクトを与えながら、マーケティングデータはデジタルで取るというハイブリッドな形に進化しています。

人の「アテンションリソース」は有限ですから、忙しい現代人にとって、朝起きて夜寝るまでの時間配分はとても重要です。デジタルが溶け込んでしまった社会では、コストをかけたプレミア感があるものが、アテンションを取る上で強力なツールになっていると感じます。セグメント化された顧客データをベースに、特定の興味・関心や地域に関する充足率の高い情報をインパクトのある形で送ることができれば、ビジネスチャンスは広がるでしょう。

さらに紙の優位性について考えてみます。昨今、スマホで撮影した写真を Google フォトや Apple の iCloud に保存している人は多いでしょう。しかし、何万もの写真を保管できて便利な反面、実際にはなかなか見返すことがなく、探せないということはありませんか。フォトブックやアルバムは、家族や友人とコミュニケーションを取る際にとても有効です。フォトブックのマーケットは、決して劇的な伸びではないものの、これから先も着々と成長する見込みです。紙の価値は、デジタルが普及すればするほど、消費者に見直され、求められていると感じます。『物理的にそこにしか存在しない』ものの価値が相対的に上がっているのでしょう」と安武氏は言葉を継いだ。

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出版分野に目を向けると、 Amazon などのオンライン書店の成長に伴い、多くの書店が閉店に追い込まれている。今や街で書店を探すことが難しくなった。しかし、アメリカでは Barns & Nobles という大手の書店の業績がここ最近で上向いているという。それは、「本を探す価値をお客様に提供する」という施策が効果を上げているからだと安武氏は分析する。これまで、書店に平置きする本は、広告としての役割を持たせ、出版社が指定していたが、現場の店員が売りたい本を選ぶやり方に変えたのだ。書店に足を運び、好きな本を探す楽しみ、新しい知識に出会う楽しみを地域のコミュニティに届けている。紙の書籍は愛着がわき、所有感が満たされる。紙やインクから生み出される独特の手触りや、ページをめくる感覚も含め、五感で楽しむ読書にはプレミアム感があるものだ。書店に並ぶ本をパラパラとめくってみることで、思いもよらない本との出会いもある。このように、デジタルでは出会えない「セレンディピティ」や自分の思考の枠を超えるという機能は、デジタルの世界にはあまりないと安武氏は評価した。

「ポイントは、デジタル×非デジタルの融合をうまく活用することです。DXは、デジタルが浸透し、それが当たり前となった社会で新しい価値を生み出すことができる。デジタル化されればデータが取れるので、次のアクションに対する意思決定や、より良い商品やサービスの開発につながります。お客様と直接つながり、その上で、プレミアムな価値をどうやって乗せていくかが重要です。安価で勝負するのはデジタルの方が強いので、紙などのプレミアムな価値を生み出すビジネスは、これからは高い値段をつけていくべきだと考えます」

Chat GPT の台頭!来るべき未来に備える

Chat GPT が話題に上らない日はないほど、 AI テクノロジーは世界中で注目を集めている。2027年には、インターネットに上げられるデジタルデータの90%が AI によって作られるともいわれている。 AI が浸透すれば、人間の役割もおのずと変わっていくだろう。 AI によって仕事がなくなるという議論もあるが、実は AI をパートナーとして、人間がクリエイティブに思考し、意思決定をすることで、 AI 単体や人間単体よりもはるかに高い成果を出せることが、囲碁や将棋の世界で証明されている。

「 AI を利用することは、これまで徒歩で移動していた人が、自転車に乗って早く目的地に到着するようなものです。つまり、 AI は道具として人と共存するものなのです。1980年代に Excel が出たときには、会計の仕事がなくなると騒然となりました。確かに記帳などの単純仕事は減りましたが、逆に財務分析や戦略経理という創造的な仕事は需要が大きく増加しました」 

個人データの取り扱いに懸念があることから、イタリアでは Chat GPT の一時利用禁止を決めたり、島根県知事が Chat GPT を積極採用しないと発言するなど、 AI の活用に慎重な姿勢も見られる。しかし、新しいテクノロジーを最初から規制してしまえば、未来への発展はない。

「 Google が出たときも同じような議論がありました。ネットで検索をすると辞書をひく能力が落ちるので人間の能力が退化するという警鐘が鳴らされましたが、現実にはその辞書が売れなくなっています。AIに限らず、テクノロジーとは、人間の能力を拡張してくれるものです。ひと足先に取り入れてうまく活用できれば、他社よりも一歩先に行けます。過去にとらわれて古いやり方に固執すれば、新しいやり方を取り込んでいる人に対抗しようがありません。時代の変化を捉え、来るべき未来に備えることが、ビジネスとして重要ではないでしょうか。今日お話した内容が、変化への恐れを楽しみに変え、これから先に進むべき道を考えるヒントとなれば幸いです」と安武氏は言葉を結んだ。

この20年で、社会はデジタルによって大きく変わった。かつて「携帯電話なんて持ちたくない」と言っていた人たちも、今やスマートフォンが手放せなくなっている。時代がアナログに戻ることは決してないだろう。しかし、時代の変化を捉え、デジタルをうまく活用した上で、デジタルでは届かない価値を見つけ出し、創出することはできる。デジタルが社会に溶け込んでしまった今、これから先のトレンドを敏感に読み取り、積極的に取り組んでいくこと、デジタルを活用して次のアクションにつなげること、非デジタルの良さを発掘してアピールすること――多角的な視点をもって前進し続けることだ。この先も時は流れ、テクノロジーは変わり、進化は止まることはないのだから。

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