2021.11.19

【提言】ESGに対応しないと、近い将来、印刷企業は消滅する
~印刷業がこれから取り組むべきESG経営とは

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 近年、豪雨や猛暑などの異常気象が私たちの暮らしに深刻な被害をもたらしている。各地で相次ぐ地球温暖化の影響を目の当たりにするたびに、もはや気候変動は無視できないところまで来ていると思い知らされる。社会の価値観は大きく変わり、世界中で自社利益だけを追求する経済社会が疑問視されるようになった。大量消費を前提とした市場構造が転換期を迎える中、環境に大きな変化が起きていると感じながらも、対応方法がわからずこれまで通りのやり方を続けている企業も少なくない。企業と社会が持続的な成長を遂げるために、なぜESG経営が必要なのか。もはや誰もが逃げられないところまで来ているESG経営について、印刷業の未来とともに根底から考えていきたい。

 今回は基礎編として、ESG経営がここまで注目されることになった背景とともに、なぜ、どういったことに取り組むべきかを日本HP経営企画の甲斐氏に聞いた。

株式会社 日本HP 経営企画本部 部長
甲斐 博一氏

 大型IT機器の営業職を経験したのち、約20年IT業界にてマーケティングに従事しながらB2C、B2Bともに幅広くビジネスを経験。ECビジネスの立ち上げにも携わり従来のマーケティングに加えデジタルマーケティングの特長も活かし独自のマーケティング施策を数々実施。各キャンペーンでは統合型設計に加え、クリエイティブディレクションにも携わる。現在は、経営企画本部にて全社視点からマーケティングを切り口に事業部別のDXを計画、実装していく役割を担いながら、ESG経営を推進する。

ESG経営はなぜ必要なのか?

―― 頻繁に耳にするようになったESGやSDGsですが、その違いをどのように捉えれば良いでしょうか?

 「ESGとは、「Environment(環境)」「Social(社会)」「Governance(企業統治)」のそれぞれの頭文字をとった言葉です。これからの企業の持続的成長には、この3つの観点が必要であることがリーマンショック後からグローバル企業においては認識され始めました。これは株主至上主義、つまり行き過ぎた資本主義からの脱却を意味します。企業のステークホルダーは株主だけではなく、お客様、従業員、パートナー、そして社会や地球であることを再認識すると同時に、これらすべてのステークホルダーに対して応えていくことが企業の持続的成長であることを示しています。そして、投資家や金融機関は、企業に対してこういった視点から長期的な投融資を行うことを国連が呼びかけました。つまり、企業はESGに配慮した経営を行うことで、持続的な成長を目指す組織として投資家や金融機関に支持されやすくなり、そうではない企業は運転資金が集まりにくくなるという側面もあります。具体的には、「環境」は温室効果ガスの削減を中心に気候変動への対応、「社会」はジェンダーや格差、人権問題の解決、「企業統治」は不正のない透明な経営や情報開示などを指しています。

 一方で、SDGsは2015年に国連で採択された「持続可能な開発目標」を指します。貧困や雇用、気候変動など社会・経済・環境問題を解決するための行動計画として2030年までに達成すべき17の世界的目標が掲げられています。SDGsは世界中の全ての人を対象としており、企業の持続性のために定められたものではないことから「企業統治」が含まれていないのが大きな違いです。とはいえ、ESGとSDGsは密接に絡み合うもので、ESGの視点から経営を行う企業はSDGsの達成にも貢献できるともいえます」

―― 近年ESG経営が重視されるようになったのはどのような背景があるのでしょうか?

 「世界ではグローバル経済リスクとしてトップにあげられていた気候変動が引き金となり、日本に先立って地球環境や社会課題に対する企業の取り組みを評価しようという考えが普及しはじめました。ESG経営を加速させた一つが、2006年に国連が提唱したPRI(責任投資原則)です。ESGを考慮した投資判断をし、持続可能な社会の構築に貢献できているかどうかに着目するためのガイドラインとして、その後世界中で多くの機関投資家やアセットオーナーが賛同し署名しています。

 特に、2008年に世界中に大きなインパクトを与えたリーマンショックをきっかけとして、グローバル企業の経営戦略は大きく変わっていきます。それまでは、前述のとおり株主至上主義ともいえる短期利益志向の企業経営が主流でした。それが株主や投資家に評価されていたわけです。しかし、産業革命から拡大した近年の資本主義は、環境問題や格差の拡大を引き起こし、さらに1社の経営が傾いただけで全世界が傾くような経験を経て、そもそも経済活動を展開する土台の地球や社会の持続性が疑問視され始めたのです。企業活動に対して利害関係を有するステークホルダーは株主や投資家だけではありません。あらためてすべてのステークホルダーとの関係性を重視し貢献していくべきだという、全方位型の取り組みが注目されるようになりました。それにより、行き過ぎた資本主義や短期の収益重視志向が見直され、財務指標だけにとらわれない視点が生まれたのです」

世界の潮流に乗り遅れた日本

 「ところが、日本はこの潮流に乗り遅れてしまいます。日本は人口増加と共に経済が大きく成長したあと、転換期を迎えているにも関わらず、構造変革を大胆に実施することができず、グローバル競争の中で長らく利益率が低いという問題を解決することができませんでした。人口が増加すれば売上や利益の絶対額は増えていき、投資効率にはなかなか目がいくことなく、また株主からもそういった指摘がされにくかったことも背景要因にあると思います。しかし、バブル経済崩壊の後、2011年以降に日本の人口は横ばい、その後減少に転じ、低生産性や利益率の低さが問題視されるようになりました。2014年に、経済産業省が発表した「伊藤レポート」で自己資本利益率(ROE)の低さが指摘されると、今度はROEを重視して経営を行うようになりました。日本が生産性やROEを改善しようと躍起になっている時に、世界は気候変動対応を中心に長期的な企業価値創造を視野に入れ、ESG経営を推進しています。こうして、世界と日本の環境対応への取り組みに大きな差が開いてしまったのです。

 では、日本企業の生産性・利益率の低さはどこに原因があったのでしょう。企業経営における資本は株主から調達するか金融機関から調達するか、大きく分けるとその2つです。欧米では株主をステークホルダーの中心と捉え、企業は株主から集めた資金をもとに事業を中心とした経営を展開します。経営の結果である利益を株主に配当または売却益で還元するために、株価を上げていくことを中心に経営が行われることが徹底されています。一方、日本は株の持ち合いも多く、株主からの徹底した経営への追求も少ないことなどから、金融機関からの負債を返す、極論すれば利子分だけ利益が出ていればまあよしとする、つまり赤字でなければよしという文化が長年続いてきたわけです。このように、株主への貢献についての考え方が欧米と日本では大きく異なり、これが日本で利益率を重視してこなかった一つの要因だと考えられます。

 その後、気候変動問題に関する国際的な取り決めである「パリ協定」が2015年に合意され、ほぼ時を同じくして国連がSDGsを採択しました。日本のメディアでもようやく報道がされ始めたのがこの頃です。さらに、東証の企業コード再編を経て、2015年に日本最大の投資機関であるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)がPRI(責任投資原則)に署名し、ESG投資を開始したことから、日本でもようやくESGが認識されるようになりました。国民が納めた年金を預かって運用しているのがGPIFですから、実は私たちの生活にもESGは大きく関わっているとも言えます」

30年後に生き残る企業になるために

 「さらに、2020年からの新型コロナウイルスでパンデミックがもたらす影響が顕在化した結果、環境問題だけではなく、企業の持続性を意識した長期的なリスクマネジメントはより一層注目され、ESG投資は今後ますます加速すると考えられています。災害やパンデミックなどの脅威に直面しても、レジリエンスの高い取り組みをしているかどうかが大切な指標となるのです」

―― ESGが与える経営上のメリット・デメリットは?

 「ESG経営をやるかやらないかは、この先の資金調達がやりやすくなるか否かに尽きます。これは企業規模に関係なく言えることですが、まずは大企業です。投資機関や金融機関はESG経営をする企業に優先的に投融資していきますが、日本株の約3割は海外からの投資ですから、海外基準で見た時に日本の企業は投資先として魅力的ではないとなれば世界から資金が集まらなくなります。そうなれば、日本全体の産業に影響を及ぼしますから、まずは大企業から動くものと思いますし、実際すでに大きく変化しています。

 一方、中小企業は、大企業のバリューチェーン(原材料の調達から顧客に届けるまでの事業活動の価値連鎖)に組み込まれていることで大きな影響が出ます。大企業は1社だけで成り立っているわけではありません。製造業でいえば、原材料や部材の調達、製造、加工、物流、販売、サービスに至るまで、価値提供に関わるサプライヤーやパートナー企業は数多く存在します。ESGという観点において、大企業は投資家の信頼を得るために、自社の取り組みだけではなく、バリューチェーン全体の取り組みを開示・報告しなければなりません。つまり、CO2排出量ひとつとっても大企業はビジネスに関わる全てのサプライヤーを含めた総和を開示しなければならないので、中小企業もESGに取り組んでいないと、大企業のバリューチェーンから外されてしまう可能性が高くなることが考えられます。

 実際にAppleは、2030年までにバリューチェーン全体で100%カーボンニュートラル(脱炭素)達成を宣言しましたが、これは、同社のサプライヤーとして取引をするなら、今後再生可能エネルギーへの転換を余儀なくされることを意味します。このように、グローバルな大企業がESG経営を本格化させることは、バリューチェーン内にある多数の企業も影響を受け、取り組まざるを得なくなるはずです。

 ここで重要なのは、大企業と中小企業の連鎖が生まれていることです。今後大企業は、ESG経営に取り組んでいる企業を積極的にバリューチェーンの中に入れていくでしょう。たとえば、CO2削減に取り組みFSC認証の紙を使用していることなどはもう当たり前で、自社工場内のカーボンニュートラルに取り組んでいること、役員の女性比率が適切であること、水や廃棄物の処理が適切であること、工場内従業者が不当に扱われていないことなどがバリューチェーン全体で問われることになります。当然、ESGに積極的に取り組んでいる会社は、新たなビジネス機会も増えるでしょう。それは、新しい取引先や海外との取引が増えることでビジネスを大きく伸ばすチャンスでもあります」

―― HPの取り組みについてはいかがですか?

 「HPは1939年の創業当初からESGに近い思想を経営に取り入れてきた会社です。HPの経営理念はESGとの親和性が高く、アメリカの企業ではありますが、近江商人の『売り手によし、買い手によし、世間によし』を表す『三方よし』の精神に通じるところもあります。

 具体的な取り組みとしては、気候変動対策・人権・デジタルエクイティ(教育、医療、仕事においてデジタル格差をなくす取り組み)の3つの分野で取り組んでおり、2002年以来、毎年サステナブルインパクトレポートとして、可視化した具体的な数値目標と進捗を報告しています。(HPの取り組み詳細についてはこちら

 カーボンニュートラルという観点では、HPのグローバル社内業務によって排出される温室効果ガスは全体のわずか1%に過ぎません。製品およびソリューションによる排出が35%、残りの64%がバリューチェーンにおける排出ですから、バリューチェーン全体で取り組むことは極めて重要です。HPは2025年までにHP事業におけるカーボンニュートラル、廃棄物ゼロ、グローバルの業務での再生エネルギー100%利用を、2030年までにHP全バリューチェーンの温室効果ガス排出量の50%削減を、2040年までにHPバリューチェーン全体で温室効果ガス排出量ネットゼロの達成を目指すなど、段階的な戦略ロードマップを策定し、公開しています」

―― ESG経営に取り組むことによってコストは上がるのでは?

 「当然、ESG経営に取り組むことで、コストは上がります。それは製品やサービスの価格に反映されるかもしれませんが、長い目で見れば、企業としての評価は上がり、資金調達もしやすくなるはずです。また、とりわけ企業顧客の場合、環境対策が取られリサイクルやリユースできる商品を調達することで、その企業がマーケットから評価されることにつながるのです。企業は、お客様、社会、従業員、投資家などあらゆるステークホルダーから評価されますから、事業を通じて環境や社会問題にどれだけ貢献しているかは、企業の将来性を高める重要な要因となるのです。そしてここ数年、日本においても実際に調達基準の一部にサステナビリティが掲示されることが急減に増えています。

 環境対策はコストがかかるからそんなことをやっていたら今日の飯が食えないという人もいます。しかし、今日の飯だけ安泰で、数年後の飯はなくなっても良いとは言い切れないでしょう。

 責任消費という意味では個人の意識も大きく変化しています。特にミレニアル世代やさらにその下のZ世代は、異常気象を目の当たりにし、学校教育でもSDGsが大きく取り上げられていることで、環境問題や社会問題を自分たちに密接な課題として捉えていることから消費行動の際にはその商品だけではなく、それを提供する企業のESG要因を重視する傾向にあります。今後消費の中心となっていく若い世代のニーズを捉えることは重要ですし、それは自社に優秀な人材を雇用することにもつながります。Z世代の彼らがただ価格メリットがあるだけの製品を提供する企業で働きたいとは思いません。

 今、ESG経営に早く取り組んだ企業が勝ち抜く世の中になっていると感じます。差別化の観点から見てもスピードが勝負です。できたらやる、と悠長に構えているのでは遅いのです。たとえば工場がある場合などは、CO2の削減はやりやすいのではないかと思います。まずは事業で使用する電気やガスの使用量、物品の輸送量、廃棄物の処理量、工場排水の処理量などを洗い出し、自社がどれだけのCO2を排出しているのか可視化していくことが始まりだと思います。CO2の排出量は、燃料ごとの使用量に、排出係数(環境相のサイトで提示)を掛けて算出します。CO2排出量の全体像を把握できたら、優先的に削減すべき対象を特定し、具体的な改善目標と計画を立てます。そして、積極的に改善に取り組み、情報を開示していくのです。組織体系が複雑ではない中小企業の方がむしろ行動しやすいかもしれません。

 それぞれの企業がきちんと対策に取り組むことによって、サプライチェーン全体でのカーボンニュートラルが実現し、循環型社会が構築され、気候変動への対策となっていくのです。加えて、同じ考え方で人権問題や平等社会の実現へとつながっていくと思います」

 印刷産業は、1990年に約9兆円あった出荷高が2019年には約4.9兆円まで減少している。つまり、約30年間で市場規模は半分近くになってしまったということだ。次の30年間、このまま同じ勢いで減少すれば、印刷会社は存続を揺るがされるかもしれない。少なくとも、昨年からのパンデミックや大規模災害など不確実性が高い現代において、予測していたように事業がなりゆかなくなることは大いに考えられる。30年後を見据え、私たちにできることは何なのか、今こそ考え行動を起こさなければならない。

 企業情報が透明性を持って公開されるようになり、今後ますます投資機関や金融機関、消費者の目は厳しくなっていくだろう。ESG経営が企業を選択する基準にもなるとすれば、ESGに真摯に取り組んでいるかどうかは企業価値を左右し、経営を動かす。より長期的な視点を持ち、先行的に行動すれば、新しい市場が拓けるかもしれない。それは、持続的な成長の第一歩となるはずだ。問題を先送りにせず、自社にできることをアクションに移せば、そこから未来は変わっていく。そしてそれは、現経営層だけではなく、すべての世代が挑む新しいチャレンジであるはずだ。

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