第9回:AIエージェントの免罪符 ~「望むだけで叶う」という大義名分

山田祥平の戦うスマートライフ

2026-10-14

Illustration: Generated by Gemini / Created by Syohei Yamada
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望みを言葉にするだけで、段取りが組まれ、選択肢が整理され、答えが手に入る。AIエージェントの進化は、人間から「迷う時間」や「考える汗」を確実に奪い去りつつある。「望むだけで叶い、生活が豊かになるのだから結構なことではないか」という大義名分のもとで、私たちが手にしているのは、思考や判断の責任を外部化することを正当化するための「免罪符」ではないだろうか。試行錯誤という遠回りを手放した先に待つ、究極のAIとの付き合い方を考える。

フリーランスライター:山田 祥平

旅行の行程表、複雑な出張スケジューリング、新規ビジネスの骨子案、何度も往復し、いろんな意見が交わされた「Re:」だらけのメールスレッドの要約…。ちょっとした言葉を投げかけるだけで、何から何まで、ほぼ一瞬で解決してくれるのがAIエージェントだ。AIエージェントを使い始めた当初は久しぶりにコンピュータに待たされている感を新鮮に感じることがあったのがなつかしい。今では、ちょっとでも遅いとイライラが募る。

素早く確からしいソリューションが生成されることで、そうそう、これが欲しかったんだと勘違いしているかもしれない。ここでは考える汗が消失し、「迷う」「悩む」「比較して頭を抱える」という時間そのものが、生活や仕事から見事に削ぎ落とされていく。人間は、それに心地よささえ感じてしまうのだ。

「望むだけで叶い、生産性が上がり、暮らしが豊かになる」という完璧な大義名分でもある。だがその実態は、「自分で決断し、責任を負うこと」から逃れるための免罪符を手に入れただけではないかという考え方もできる。それでも、ビジネスでAIを使う以上、会社の利益は最優先だ。短い時間で高い生産性を得られればそれでいいという考え方もありかもしれない。

かつてパソコンは便利な道具だった。パソコンを使うとラクができた。でも、またたくまにパソコンは使えて当たり前の道具になり、みんながラクをするようになった結果、パソコンを使えないと人に迷惑をかける存在になってしまった。今の状況はそんな時代を想起させる。

このコラムの読者諸氏の年齢層というのは定かではないが、1960年代から1980年代ごろまで、日本の学校体育や部活動では、運動中の水分補給を控えさせる指導が広く残っていた。今では考えられないほど、文字通り「無茶」な話だが、昭和末期までの小中学生であれば水飲み禁止を受け入れざるを得なかったはずだ。「運動中に水を飲むな」という指導は、少なくとも戦前から存在し、戦後の学校体育や部活動にも長く残った。その由来については、古いトレーニング理論や軍隊的な規律、精神主義など複数の説明があるが、単一の起源を特定するのは難しい。当時の「まことしやかな理屈」としては、「運動中に水を飲むと胃液が薄まり、胃がタプタプして動けなくなる」とか、「一度水を飲むと疲労が一気に出てバテる」とか、「喉の渇きに耐えることこそが、勝負どころの根性と忍耐力を養う」などがある。さすがにそんな実体験はないが、部活が盛んだった当時の小中高校のグラウンドや体育館では「練習中に水を飲んだら連帯責任でグラウンド10周」「蛇口に鍵をかける」といった指導が当たり前のように行われていたそうだ。

それが1980年代になると、部活動中の熱中症(当時は主に「日射病」「熱射病」と呼ばれていた)による死亡事故が社会問題化し始める。個人的にも小学校時代、国体のラグビー会場になった市営グラウンドで某高校生チームのプラカードを持って入場行進の練習に参加していて熱中症で倒れてしまった経験がある。当時のラグビーは高校の部と一般の部に分かれていて、高校生(あのころはおじさんにみえた)たちがドッとかけよってきたことをかすかに覚えている。懐かしいといえば懐かしい思い出なのだが、一大事ではあった。

その一方で、スポーツ医学や生理学の進歩によって、脱水が体温調節や循環機能を損ない、パフォーマンス低下だけでなく生命の危険を招くことが明らかになった。そして、喉の渇きだけを補給の合図にせず、運動中に計画的に水分と塩分を補う考え方が定着していった。

大きな転換点のひとつとなったのが、1994年に日本体育協会(現在の日本スポーツ協会)が『熱中症予防のための運動指針』を発表したタイミングだ。環境条件に応じた運動の可否や、積極的な休憩、水分補給などが具体的な基準として示され、その後のスポーツ現場や教育現場における熱中症対策の基礎になった。

かつて「水を飲むな」と言われていた時代、大人たちは決して子どもを虐待しようとしていたわけではない。パソコンやAIに対する「使わせるな/規制せよ」という慎重論も、将来になって振り返れば「昔の人はずいぶん頑迷なことを言っていたな」と笑われる日が来るのではないか――歴史の振り子を何度も見てきた経験があればこその直感でそんなことを想うこともある。

気候変動で夏の暑さが昔と桁違いになったように、情報空間の密度や社会のスピードも昔とは比べ物にならない。生身の人間だけで戦うには限界があり、適切な補給や外部アシストなしでは熱中症(情報疲弊や過労)で倒れてしまうのは当然だ。

禁じることの不毛さもある。すでにAIが社会インフラ化しつつある時代に、「一切使うな」と学校や子どもからAIを遠ざけ、隔離しても、一歩外に出ればいくらでも使う機会はある。水でいうなら隠れて飲むか、耐えきれなくなって脱落するかだ。いずれ水分補給をするように、息を吸うように自然にAIを使いこなすのが前提というリテラシー教育に落ち着く可能性もある。

でもまあ、英語をろくに理解できず、聞くことも話すこともできない。漢字の読み書きも、四則演算もおぼつかないといった段階の子どもが、そのすべてをスマートデバイスとAIに最初から頼ることの是非は慎重に考えるべきだろう。

もっとも、この比喩は半分しか成り立たない。それに、水とAIは決定的に異なる点もある。水は身体の機能を維持するために欠かせない補給物であり、運動中に水を飲んでも、自分の足で走り、ボールを蹴り、筋肉痛に耐えて基礎体力をつけるプロセスそのものは、本人が引き受けている。

その一方で、AIは使い方次第で筋肉の収縮そのものを肩代わりする外骨格にもなり得る。いわば電動カートであり、AIエージェントが提供するのは、燃料補給ではなく、走る行為そのものの代替だ。「喉が渇いたから水を飲む」のではなく、「走ると疲れるからカートに乗ってゴールまで運んでもらう」ことに近い。

もし、基礎的な足腰や骨格ができあがっていない子どもに、「熱中症になるから走るな、最初から電動カートに乗れ。目的地に着くのだから合理的だし豊かだろう」と大義名分を与えてしまったらどうなるだろう。目的地には最速で着けるかもしれないが、カートから降りた瞬間、自力で一歩も歩けない身体になってしまう。

運動を禁じるのではなく、正しい水分補給を促すように、AIを遠ざけるのではなく「自前の筋力」つまり入力信号を十分に育てた上で「頭脳のアンプ」として鳴らす作法をどう教えるかが重要なのではないか。「水を飲むな」の不条理を経験した世代でなくとも「何でもかんでも昔は良かったと禁じる老害」に陥ることなく、「身体性の獲得」と「道具の恩恵」のギリギリの境界線を絶妙にコントロールできるはずだ。

Illustration: Generated by Gemini / Created by Syohei Yamada
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未成年者とデジタル環境の関係を見直す動きは、いま世界各地で進んでいる。オーストラリアでは2025年12月、16歳未満が対象SNSのアカウントを保有できないよう、プラットフォーム事業者に対策を義務づける法律が施行された。米国でも年齢確認や保護者同意などを求める州法が相次いでいるが、表現の自由との関係から差し止めや無効判断も続いている。フランスでは学校内でのスマートフォン使用禁止と物理的な隔離が高校まで広げられた一方、年齢によるSNSの一律禁止は違憲と判断された。英国ではオンライン安全法によって、子どもに有害なコンテンツから利用者を守る義務がプラットフォームに課されている。規制の手法も成否も異なるが、「幼少期から無制限にデジタルに触れさせることが進歩なのか」という問いを、各国が制度として考え始めたことは確かだ。

このように「幼少期から無制限にデジタルに触れさせることが進歩だ」と信じ込んだ大人たちが、いま慌てて強硬なブレーキを踏んでいるのが実状だ。

漢字の手書き、四則演算、理科の実験の失敗、他者との生々しい衝突といった「非効率な試行錯誤」を通して思考の基礎筋肉(自前の論理や批判的思考力)を培ってきたのがこれまでの人類だ。なのに足腰がしっかりと機能するようになる前に「目的地へ自動で運んでくれる電動カート」を与えてしまえば、自力で一歩も歩けない知性を育ててしまうのではないかという懸念には十分な説得力がある。

利益と実務の正義に直面するのが当たり前のビジネスの現場では、「AIに任せられることは任せてコストを削り、速度を上げる」という判断には、実務上、強い正当性がある。それも否定の余地はない。子どもの基礎教育とは違い、そこにいるのは原則として、自ら判断し、その結果に責任を負う大人だからだ。ただし、大人であることと、判断に必要な経験を身につけていることは同義ではない。

あまりに正当すぎるがゆえの盲点もある。下積みやリサーチ、雑務という「現場の文脈を身体で覚える筋トレ」を組織から一掃したとき、AIの出力の妥当性を評価できる人材がいなくなる可能性があるからだ。

その結果、責任の空洞化が発生する。「AIが推奨した戦略だから」と、不確実性の中でリスクを背負い決断するというビジネスの本質的な責任まで、免罪符の陰に隠してしまうかもしれない。

大人にとってのパソコンは「頭脳のアンプ」だ。そして、道具としてのスマートデバイスは、本来、人間が発生する微弱な入力信号、つまりアイデアや試行錯誤をときにはリニアに、ときには変則的に増幅し、生身では届かない高みへ届かせるためのアンプだったはずだ。だから絵が上手い人は、パソコンで描いても上手いのだ。

ところが、人間側の思考という入力がほとんどなくても鳴るジュークボックスが登場してしまった。AIエージェントの危うさは、入力信号がゼロのままでも、それらしい音楽が勝手に鳴り響いてしまう点にある。

自戒の面を認めながら白状すれば、こうして画面に向かい、ワープロとAI、2つのウィンドウを開き、壁打ちを重ねながらこのコラムを書いている自分自身も、すでに思考を外部化する罠に足を踏み入れているようだ。

だからこそ、AIを「砥石」にしているかどうかを常に自問自答しなければならない。出てきた答えを鵜呑みにして免罪符にするのか、それとも違和感をぶつけ、選び取り、自分の思考の刃を研ぐための「砥石」として対峙するのか。最初の仮説や問いまでは自分で作る。

AIに反対意見を出させ、提示された根拠を自分で確かめる。最後に何を採用し、その結果に責任を負うのかも自分で決める。AIを使うか使わないかではなく、思考のどの工程までを渡すかが問われているのだ。

テクノロジーを遠ざけて昔に戻ることはできないし、その必要もない。だが、「望むだけで叶う」という甘美な大義名分に身を委ね、思考の責任まで手放すことは避けたい。AIという巨大なアンプを鳴らすために必要なのは、自分自身の内なる信号、迷い、悩み、汗をかくという遠回りだ。

ありがちな結末かもしれない。だが、AIと向き合い続ける道を選んだぼく自身にとっては、切実な自戒である。

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連載 |コラム「山田祥平の戦うスマートライフ」
  1. 第9回:AIエージェントの免罪符 ~「望むだけで叶う」という大義名分
  2. 第8回:AI時代だからこそ冴える現役の紙とペン
  3. 第7回:AI時代に再定義する「同期」と「非同期」の作法
  4. 第6回:モバイルノートってすげぇ ~ 4年使ったデスクトップパソコン愛機不調の回復断念で再認識
  5. 第5回:アドビが認めた中間言語としての紙文書
  6. 第4回:身体の可視化と日々のバイタルデータ活用 温「数」知新
  7. 第3回:優れた同僚であるAIと戦う、その距離感を考える。
  8. 第2回:コンピューターとパーソナル ~「私の拡張」としてのマルチデバイス
  9. 第1回:翻訳。言葉の壁が消えたあとの「摩擦」を楽しむ

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