翻訳。言葉の壁が消えたあとの「摩擦」を楽しむ

2026-06-16

Illustration: Generated by Gemini / Created by Syohei Yamada
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AIによる文書の機械翻訳やリアルタイム翻訳が実用レベルに達しているように感じる今、人間対人間という他者同士でのコミュニケーションはどう変わろうとしているのか。その一方で、翻訳ツールがもたらす円滑さと、「伝わらないもどかしさ」が隣り合わせる世界観にも、ひとつの契機が訪れようとしている。技術の進展なのか、人間側の態度が変わったことなのか、ここではその周辺を探ってみよう。

フリーランスライター:山田 祥平

翻訳サービス企業のDeepLが、日本企業における「言語の壁」とリアルタイム音声翻訳に関する最新調査の結果を発表した※1。この調査によれば、日本企業では勤務時間の平均20.2%が追加の翻訳や確認などの言語対応に費やされているという。これは、年間約380時間(約47営業日)に相当する。

さらに、意思決定層の8割以上が言語の壁による失注や意思決定の遅延を経験し、直近1年で平均4.8件の機会損失が発生したと回答しているという。

心理的安全性への影響もある。回答者全体の約3割が会議で「質問・発言しづらい」と感じていて、外国語環境では心理的安全性が低下する傾向が見られた。

そんなわけで、音声翻訳への期待は増大する一方で、リアルタイム音声翻訳の導入により、回答者全体の60.3%が「発言者が増える」ことを期待し、会議の議論活性化が待ち望まれているようだ。

同社によれば、業務における外国語を伴うコミュニケーションのうち、音声が占める割合は平均約3割という結果で、リアルタイム音声翻訳の活用の余地は大きいともいう。ただ、音声が3割という値は、裏を返せば残りの約7割がテキストだということになる。もちろん両方が重要で、各ベンダーは、その解決に余念がない。音声とテキストによる外国語コミュニケーションを円滑なものにできれば、それが企業にもたらす効果は絶大なものとなるにちがいない。

※1:DeepL調査:日本企業、業務時間の約2割を「言語対応」に費やす(2026年4月7日)

ビジネスにおける外国語コミュニケーションにおいて、音声以外の7割に相当するのは、最も頻度が高いメールやチャット、また、契約書や仕様書、プレゼン資料などの資料作成・読解、そしてリサーチのためのウェブブラウジングといったところだろうか。実務の現場では、書かれたものを読み、自分が応えるために書く時間が圧倒的に長い。業種によってはもっとテキストに偏っている可能性もある。

海外との時差を回避するためには、時間に拘束されない非同期メディアとしてのテキストを主役にしたほうが効率的だ。また、言った言わないを明確にするエビデンスのためにも文書への着地が重要だ。過去における日本の英語教育が読み書きに偏重してきたこともテキストベースが選ばれやすいという側面がある。

AIメガネでリアルタイム音声翻訳といったソリューションが注目されているのは、外国語テキストを処理するためのツールは実用域に達しつつあるが、その場で対応しなければならない音声は、ユーザーが感じるストレスや失敗したときのダメージが大きく、それがうまくいくという期待を提示できれば、ソリューションとしての価値が高いからだと考えられる。

こうして今、未来の道具としてのAIメガネとリアルタイム音声字幕化ツールが注目され、また、音声によるリアルタイム音声吹き替えなども試行錯誤が繰り返されている。ドラえもんの翻訳こんにゃくの世界がまさに現実になろうとしている。

DeepLはドイツ・ケルンの企業だ。同社の出自に目を向けると、音声翻訳への姿勢が少し違って見えてくる。

ドイツでは昔から映画の上映に際して吹き替えが当たり前なんだそうだ。ドイツが世界屈指の吹き替え大国となったのにはいろいろな理由がある。そのひとつが、英語からドイツ語での翻訳は文字数が2~3割増えることだ。また、複数の単語をつないでひとつの長い単語を作るドイツ語の性質もある。結果として、画面上に文字が溢れるか、読むのが追いつかないほどのスピードで流れてしまうという弊害が生じる。

極端な例を挙げると、「スピード違反の罰金」という日本語は英語なら13文字の「Speeding fine」が、ドイツ語にすると「Geschwindigkeitsüberschreitungsgeld」と31文字に達してしまう。文字数が倍以上になってしまうのだ。

だからこそ、ドイツ語字幕への翻訳者は、オリジナル言語の意味を保ちつつ、極限まで言葉をそぎ落とすというきわめて高度な作業を強いられているらしい。まさに職人芸だ。DeepL翻訳のサービスも、もしかしたら、その職人芸を目指している面があるのかもしれないと、勝手な想像をしてしまう。

そういう意味では、DeepLが満を持してリアルタイム音声翻訳のソリューション※2 ※3 に参入したのは興味深い。それぞれの母語で話せばコミュニケーションができるというのは音声が最適だというドイツ的なやり方を、これまでサービスとして提供できていなかったのは、ドイツ的な音声重視の文化を知り尽くしているからこそ、中途半端な品質では出せないというプライドによるものだったのかもしれない。

※2:DeepL、リアルタイム音声翻訳「Voice-to-Voice」を発表 次なる言語の壁を超える革新へ(2026年4月16日)

※3:リアルタイムの音声から音声への翻訳が実現。 グローバルビジネスの変革に向けた準備が整いました(2026年4月24日)

かつて大阪万博で、幼かった自分が覚えたての英語を使ってコミュニケーションを試みたことを思い出す。大阪万博といっても1970年の万国博覧会ですでに50年以上前の話になる。記憶が曖昧だが、確か、カナダ館の係員の女性に拙い英語で話しかけたはずだ。もしかしたら世界中の外国人は英語を話すと思いこんでいたかもしれない。

そのとき、なんと言ったかは覚えていない。その返事が「英語、上手ですね」という日本語だったことだけははっきりと覚えている。屈辱でもあったがうれしくもあった。互いに相手の言語で話をすることでコミュニケーションが成立するということの素晴らしさが、まばたきひとつする間に理解できたからだ。そのときもらった赤いメイプルリーフのピンバッジはすでに手元にはないのだが、当時の光景は今も頭の中に残っている。

今後は、機械翻訳や通訳をソリューションネイティブとして日常的に使う層が増えていくことになるだろう。

幼稚園、小学生のころから外国語のリテラシーを身につけることが古い当たり前なら、まったく外国語を学ぶことなくコミュニケーションに長けることが求められるのが新しい当たり前になってもおかしくない。それで欠落する要素をテクノロジーが補完してくれるだろうからだ。それに、ほとんど不自由することなく機械翻訳が使えれば、自分自身が外国語を身につけるモチベーションも低くなりがちだ。

でも人間が話す言葉には体温があり、そのリズムやためらい、トーンといった要素が非言語的な面としてつきまとう。AIが最も苦手とする情緒やニュアンスの領域だ。そして、肉声でリアルタイムに会話をするにしても、AIを介した満点の翻訳より、自力で話す及第点の言葉のほうが深い人間関係を築ける可能性は高い場合が多い。

外国語の立ち位置は、対コンピュータでのコミュニケーションでいえば、古くはアセンブラ、そしてOSコマンドからGUI、さらには言語モデルAIを操るためのランゲージ・ユーザー・インタフェース(LUI)のように変遷していくことになるかもしれないな…と、今さらにして思う。

興味深いことにDeepLはハードウェアの企業ではない。だから、当面は専用ハードウェアを作ったり、特定のメガネやイヤフォンをサーティファイ(認定)するような施策をとる予定はないという。あくまでもサービスの提供に徹するらしい。ならば余計に高度な処理はクラウドサービスやリッチなAIスマホに任せ、そこに接続されたメガネやイヤフォンは入出力に徹する考え方のもと、汎用的な入出力デバイスとして利用できるようにしてほしい。そのためにもAI-HID(AIを想定したヒューマンインターフェースデバイス)の標準化を急ぐべきだ。

そういえば、先日始まったばかりのサービス、Google翻訳アプリでの「ライブ翻訳」※4も、リアルタイムでの翻訳結果を音声で聞けるのだが、その再生デバイスはメーカーや機種を問わない。それまでの囲い込みビジネスの元に成り立っていた翻訳イヤフォンの世界観がここで崩壊するかもしれない。そうなったらAIメガネの立ち位置も変わらざるを得ないともいえる。メガネがAIを実装する必要はなく、ダム端末として再生デバイスに徹するほうが、よい結果が得られるかもしれないからだ。だとしたら…、おっと誰か来たようだ。この続きはまた今度。

※4:ライブ翻訳 : 世界の声をリアルタイムで聞き、理解する(2026年3月27日)

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