
フルデジタル書籍生産システムが新たな領域に
講談社
月刊商業誌の生産へ 文芸誌「群像」の印刷・製本を開始
2012年秋、国内出版社として初めて大型インクジェット輪転機に後加工システムをインライン接続したフルデジタル書籍生産システムを導入し、書籍生産を開始した株式会社講談社。以来、多品種小ロットの書籍生産で実績を上げてきた同システムは2025年春、講談社の代表的な文芸月刊誌「群像」の生産を開始した。これまでの多品種小ロット書籍印刷の領域から、大量生産が求められる文芸月刊誌の生産が本格的に始動した。
同社は2012年9月、HP社製の大型インクジェットデジタル輪転印刷機「HP PageWide Web Press T300(以下、T300)」にミューラー・マルティニ社製の後加工システム「シグマライン」をインライン接続したフルデジタル書籍生産システムを導入した。当時、国内でもインクジェット輪転印刷機は数台稼働していたが、出版社である同社が導入したというニュースは、印刷業界内外で大きな注目を集めることとなった。
なぜ、出版社が生産設備し、しかもフルデジタルの生産システムを導入したのか。その点について同システムの運用に携わってきた同社の土井秀倫氏(業務企画部 部長)は、次のように説明する。

2025年5月号からデジタル印刷生産にシフト
「電子書籍元年と言われた2010年、それまで紙メディアを生業としてきた出版業界は、デジタル化という新たな潮流に直面することとなった。同時にインターネットをはじめとするIT技術の台頭により、出版部数は減少傾向となっていった。そのため出版業界は、多品種少量生産にも対応していくことが求められるようになった」
この流れは加速していくことが予測され、その市場環境の中、今後もオフセット印刷だけで対応できるのかという議論が自然と湧き上がってきたという。
アップグレード機能・30インチ幅対応を評価

土井秀倫氏
(業務企画部 部長)
講談社では、オフセット印刷機に代わる生産設備としてデジタル印刷機を視野に入れていたが、当時はトナー方式のいわゆるPOD機が主流で1部からでも生産できるがユニットコストで考えると、どうしても割高になってしまう。そこで海外に視野を広げた時にHP社の大型インクジェット輪転印刷機が欧米を中心に普及が進んでいることを知る。当時の担当者は、同様の印刷機を使用することでオフセット印刷機と対等に渡り合える生産が可能であることを確認した。
機種選定についてはT300の「アップグレードが可能」「紙幅30インチに対応」の2つの特性を評価し、さらに海外でも実績があるという点からも導入を決断した。
デジタル技術の進化は目まぐるしく、導入から数年後には新たな技術が登場し、導入したシステムが陳腐化するといったケースも少なくない。しかし、HP社製のインクジェット輪転印刷機であれば、印刷機の入れ替えなどをすることなく、プリントヘッドをアップグレードすることで最新システムとして活用できる。
そしてもう1つの理由は、紙幅30インチに対応するモデルであることだ。
土井氏は「当時は20インチが主流だったため文庫や新書、B6判は4列16ページ折で印刷できた。しかしA5判を印刷するには、3列12ページ折というイレギュラーな編成となってしまう。しかし、30インチであれば、A5判以上の判型でも4列16ページ折ができる。従来から16ページ折で本を作ってきた出版社からすると大きな魅力であった。当時、30インチモデルを提供していたのがHP社だけであった」と機種選定の理由を説明する。
同社では、このフルデジタル書籍生産システムを「DSR(デジタル・ショート・ラン)」と名づけて運用を開始した。
ブレイクスルーとなった文芸誌のカラー化
DSRで「群像」の生産を開始したのは、2025年5月号からのこと。生産を委託していた印刷会社から、これまで「群像」の印刷を行っていたオフ輪が老朽化などのため稼働を終了するとの通達があったことが背景にある。
この知らせは群像編集部にも届いたが、群像 編集長である戸井武史氏(文芸第一出版部 部長)は「その時はあまり実感がなく、まだ先の話として捉えていた。しかし、2024年末頃に制作部門から正式にオフ輪が使えなくなるということが報告された」と振り返る。
オフ輪がなくなることによっての廃刊、あるいは電子書籍としての刊行継続など、戸井氏にとって受け入れ難い今後が脳裏を掠めた。しかし同時に土井氏から、DSRで制作した試作本が示された。
DSRであれば、オフ輪同様のサイクルで生産が可能で、さらにモノクロ誌面をカラー化できることも魅力であった。戸井氏は、「紙の書籍として残せるのなら」との思いから「群像」の未来をDSRに託すことを決断した。
群像 副編集長の須田美音氏(文芸第一出版部)は「1946年の創刊から79年間、モノクロであった群像の誌面がカラーページを組み込むことでモノクロとは違う表現を誌面で提供できると感じた。また、読者も今までにない新鮮な感覚で読んでくれるはず」と、カラー化による「群像」の進化に期待したという。
月刊文芸誌は現在、他の出版社を含め、4誌が発刊されている。そのすべての本文がモノクロ印刷だ。土井氏は「おそらく群像の創刊当時は、すべての文芸誌が活版印刷でサイズもA5版であったと思う。その後、オフ輪に移行してもA判機はモノクロ仕様のままでカラー化されることはなかった。つまり印刷デバイスの問題から文芸誌はモノクロで刊行されてきたが、今回、その制約をデジタル印刷機が払拭してくれた」と、文芸誌生産における出版業界のブレイクスルーを強調する。

戸井武史氏
(文芸第一出版部 部長)

須田美音氏
(文芸第一出版部)
アップグレードがもたらした効果
「群像」におけるカラー印刷は、写真やイラスト、広告ページなどが中心だが、作家からの要望を受け、作品本文中の一部分の文字の色を変えるといった、新たな作品の表現方法にも取り組んでいる。
また「群像」は、薄いザラ紙を使用している。この用紙への印刷は技術的にハードルが高かったが、土井氏は、試行錯誤を重ねながらテスト印刷を実施。浸透性の高い用紙への印刷を苦手とするインクジェット印刷機であるが、同社では、印刷部のみにプライマー処理を施す「ボンディングエージェント」を活用することで、この問題を解決している。
同社では、2022年に既設機を最新の「HP T370HD」にアップグレードを実施している。今回の「群像」のカラー化対応は、このアップグレードによる印刷品質向上やボンディングエージェントなどの技術があったからできたもの。土井氏が機種選定の理由の1つに挙げた「常に最新バージョンで使用できること」が実際の稼働で証明されたといえる。
取り組み当初は、読み切り作品の扉や目次ページのカラー化にとどまっていたが、発行号を重ねていくことで連載物を含め、すべての作品でワンポイントのカラー化などを採用し、これまでにない鮮やかさを誌面に吹き込んでいる。

写真などもカラーで印刷
偶発性を強みとする紙の書籍

細谷享平氏
(文芸第一出版部)
群像編集部の細谷享平氏(文芸第一出版部)も「群像という文芸誌の誌面全体に彩りが演出できるようになり、作家も非常に喜んでくれている。また、読者からも好意的な意見が寄せられている」とカラー化がもたらした効果を説明する。
1冊分のページを連続で印刷できるデジタル印刷機ではあるが、その反面すべての印刷ページのデータが完全に揃わなければ印刷を行うことができないというデメリットもある。そのため同社では、校了を2日早めることで完全データとして準備することを徹底している。
戸井氏は「校了を2日早めることに対して作業負荷などの不安を感じていたが、いざ実践してみると意外にもスムーズに運用でき、空き時間をつくれるようになった。そのため編集部全体に余裕が生まれた」と、職場環境の改善効果を説明する。
電子書籍ではなく、紙の本としての存続にこだわった戸井氏だが、それは伝統を守るという意味ではないと説明する。
「雑誌は、偶発性が重要なメディアである。目的もなく書店に入り、たまたま手に取ってもらうことで購買へとつながっていく。電子書籍は、原則的に求めるものがあって検索するため、偶発的な出会いが起こりにくい。もちろん紙の本も実際に手に取ってもらうことは簡単なことではない。そのため、デザイン面を充実させることで目を引く効果を演出してきた。今回のカラー化には、そのさらなる効果を期待している」
土井氏は、オフセット印刷とデジタル印刷の関係性を「鉄道と自動車」に例えて説明する。
「お互い得意とする領域が異なっており、その得意とする強みを融合することで最適なパフォーマンスが発揮できる。例えるならば、鉄道で長距離を短時間で移動し、最終的な目的地には自動車でピンポイントで到着する。オフセット印刷とデジタル印刷もハイブリッド運用を円滑に進めることができれば、紙メディアは、まだまだ成長できる余地がある。オフセット印刷はデジタル印刷に取って代わられるのではなく、これからも共存していくと思う」
講談社では、新刊はオフセット印刷を使うことが多いが、重版ではDSRに切り替えることによって在庫量を最適化しているという。土井氏が掲げる得意とする強みの融合、つまりハイブリッド印刷を実践している。
【本記事は印刷時報株式会社が制作しました】