2020.04.06
~長苗印刷のチャレンジ~
世界的に見て産業経済界にデジタル化の波が本格的に押し寄せてきたのは2000年になってから。1990年代にも右肩上がりが止まり、初めて印刷業界全体の総出荷量が横ばいになったが本格的にマイナス成長が続くのは2000年を超えてからの20年、まさに難しい時代となった。
それでも試行錯誤しながらデジタルシフトやデジタルトランスフォーメーション(DX)に着手し、令和の新しい時代に挑もうとする印刷会社は多い。また、本業であった印刷をあきらめマーケティングを始めとするサービスカンパニーへと変貌をとげる会社も現れている。昭和27年(1952年)に名古屋で創業し、地域社会に密着した営業戦略で高度成長を支えた長苗印刷株式会社はデジタル化の波をとらえ、印刷会社としての生業は変えずに変化へとチャレンジする会社のひとつだ。
アナログからデジタルへ。技術の進歩とともに多くの産業において変革が求められる中で、印刷業界のDXはどのように進行しているのか。
大学卒業後、大手印刷会社に就職。28歳のときに父が代表を務める長苗印刷に戻り、2年前に事業を引き継いだ長苗宏樹取締役社長に話を伺った。
長苗印刷(当時は名古屋明和印刷)が創業した1940年代は、まだカラー印刷がめずらしかった時代。初代長苗三郎氏は、いち早く写真製版、原色印刷に取り組み、カラー印刷の先駆者として会社の基盤を名古屋にて築く。
その後、日本が本格的な経済成長期を迎えると、オフセット枚葉印刷機、輪転機を導入し、さまざまな印刷物に対応できるようにインフラを拡張。地域社会に密着した営業戦略でマニュアルやパンフレット・カタログほかに学習参考書などの印刷も手掛け、総合印刷会社として成長を遂げてきた。さらにデザインのDTP化が進むと、社内のデザイン部にもMacを導入しCTP印刷にも対応。計画的に設備投資を行いながら時代の変化にも対応してきた。
しかし、その後の各産業に進むデジタル化の波の影響で、おもな商材となっていたマニュアルなどの需要は激減。供給過多による受注単価の下落(価格競争の激化)に加え、材料の高騰によって収益は減少傾向が続いた。特に長苗氏が危機感を持ったのは、会社の成長を支えてきたアナログ印刷、大量印刷の仕組みが、時代の変化の中で売り上げがなんとか維持できたとしてもその価格競争から利益の出ない構造になっていったことだ。
「デジタル化によって印刷業界への参入障壁のハードルが低くなり、ネットプリントに代表されるように大量印刷は完全に価格競争になっています。DTPもどんどん進化していって制作業務も効率化が進み、制作物を自分たちで印刷までできるような時代です。そうした中で私たちのような刷り専門を強みにしていた印刷会社は、かなり厳しい状況になっていきました。印刷物だけの商売では、収益が上がらなくなってきたのです。
今後、ペーパーレス化はさらに加速し、商業印刷と出版領域のアナログ印刷事業は、5年後にはさらに半分以下になると予想しています。この印刷会社としての利益(収益)構造を変革しないと、このままでは未来がない。引き継いだ会社の社員たちにも申し訳なく、そのためにデジタル化に向けた変革が必要だと考えました。」
長苗印刷は、その当時常務取締役であった、長苗宏樹氏が2015年にHP Indigo 7800の導入を決断。その2年後、長苗宏樹氏が会社を引き継ぎ、本格的なデジタルシフトに取り組み始めた。
経営者として考えなければいけないのは、これまでのやり方では明らかにビジネスが先細りになることがわかっている状況で、まず何をどのように変えていくかという判断だ。
長苗氏が変革の中で特に柱にしているのが、利益構造の改善だ。そのために長苗氏は、印刷の現場と営業面の両面から改革に着手していった。
インフラを整備する際に、現場からは“アナログからデジタルへ、いきなりシフトするのは、会社としてリスクは大きいのではないか”という声もあったという。70年間変わらずに受け継がれてきたアナログ印刷のノウハウと仕組みは、多くの成功体験を生み、その結果、業績も安定していた。方針を大きく“変えない”ことが、これまでの会社経営の選択肢だったのだ。
しかし、この会社を支えてきた過去のノウハウが、デジタルシフトした際には、デメリットにもなり得ると長苗氏は考えている。
「これまでの日本の印刷業界は、“過剰サービス”だったと思っています。品質にこだわり、そのために工数と手間ひまをかける。これは決してまちがったことではありませんが、質の担保がアップセルにつながるかといえば、そういうわけではありません。そのため利益を得るためには、売り上げを伸ばす、つまり量をこなすことが必要になってきます。
その“量”がこれからは見込めない時代です。小ロット化が進んでいる今、これまでの人海戦術的な営業方法では、受注すればするほど生産性は悪くなるため、デジタル印刷をやる意味がありません。印刷機をデジタルに変えただけでは利益増加の道は開けないのです。」
これまでと同じように印刷物自体のみを受注しようとすると難しい。しかし、これまでの印刷を“上手に否定する”、もちろんいきなりなくなる物もあるが、小ロットの印刷物を製作した上でさらにWEBマーケティングやアプリ制作の仕事に繋がったりする。そういったチャンスを生かし、お客様からの相談の間口を広げることに繋げる提案営業への導入契機にする。さらにはデジタル向きの高単価を獲得し得るような小ロット印刷物を探し出し、制作工程や受注工程の半自動化を推進し、新しいビジネスを創出していくことも大切になってくる。
ではこうしたデジタルへの変革は、どのように実行されているのか?
「多くの企業が人材不足に悩み、顧客もやりたいことがすべてできているわけではありません。私たちとしてはそこに勝機があると考えています。たとえば、マーケティング施策の細かい部分については各企業とも必要だと思いながらもなかなか取り組めていないケースが多いです。そんな企業に対しては、私たち印刷会社が印刷物の付加価値を創出してマーケティング施策を最大化できるようにサポートする、新しいサービスを提供していくようにしました。」
今、商業印刷を中心とする中小規模印刷会社で伸びているところは、そうしたパーソナライズされた商品やサービスを開発できている会社だ。従来の商流ベースを多少犠牲にしてでもやるくらい、事業を根本から見直し、大胆に実行していくことが経営者には求められる。
HP Indigoを導入したとき、長苗氏はデジタル部隊とアナログ部隊を完全に切り離し、デジタル推進チームを新設。最初は3人くらいのスモールチームでスタートさせた。そのメンバーでまずデジタル印刷で何ができるのか、トライ&エラーを繰り返していきながら実績を積み重ねていき、その割合を少しずつ大きくしていった。
こうしたデジタルシフトを推進していく一方で長苗氏は、アナログ印刷を完全否定しているわけではない。輪転機や枚葉機を活用した印刷は、デジタル印刷機が進化した今でも変わらず大量印刷では大きなメリットを持つ。アナログ印刷で行うべき商材と、デジタル印刷でできる商材の組み合わせを考え、バランスを取って人材の再配置を行い経営していくことが自分たちにとっては重要だという。大量印刷のノウハウは自社自ら率先し縮小しながらも、デジタルだからこそできる、新しい印刷物の価値の創出をデジタル推進チームで進めているのだ。
今の日本経済の生産性の低さは、印刷業界にも集約されていると言ってもよい。収益に対して、人が多すぎる。印刷業界には根強く日本型雇用の仕組みが凝縮され、これまではそのことで受けるメリットのほうが多かったが、今後はこの部分も変革していかないと経営として成り立ちにくくなっていくと長苗氏は考えている。
「デジタル化を推進すれば、人海戦術ではなく、効率よくサービスを提供できるようになります。大切なのは、売り上げではなく利益ベースの管理がきちんとされること。最初は理想から考えていきますが、現実的には理想ばかりを追わずに、まずは受注して実際に仕事を動かしながらその変革を考えていくことが今、中小の印刷会社には必要だと思っています。」
とにかくデジタル化はやらないとわからないことが多い。だからまずは勇気を持ってトライしてみる。そうして従来の顧客じゃない顧客を相手に新しいビジネスを創出するチャレンジを続けていくことが大事だという。
最後に、長苗氏は変革を進める“覚悟”を次のような言葉で結んだ。
「父でもある会長を私が超えることは絶対にないと思っています。彼の会社経営は、時代のニーズを読み、働き量と支給給与、その人的な負荷率を総合的に考えて、優れたワークライフバランスがとれたやり方で従業員と会社を守り、激動の時代を生き抜いてきました。それを超えることはないかもしれません。
このデジダル時代に会社を引き継いだ者としては、会社のデジタルシフトを推進し、DXを実装させることが使命だと考えています。そのためにも旧態依然とした考え方は変えていきます。デジタルになったからといって、簡略化されることはありますが、本質は変わらない。でも変革を進める中で従業員にはある程度の負荷は求めます。それに対して応えてくれる人と一緒にやっていくしかない。これからは私も含めた若手世代が業界を変えていかないと、それこそ尊敬する先輩たちが創ってくれたこの印刷業界自体を残すことすらできないと思っています。」
テクノロジーの力を信じて、これからの印刷業界を変えていく。その意志と覚悟が、これからの経営者には求められるのだ。
【本記事は ワンマーケティング が制作しました】