2021.08.05
15年以上のM & Aアドバイザリー業務を経験。上場、未上場の創業オーナー企業の成長戦略のための買収M & Aや後継者へバトンを繋ぐ事業承継M & Aなど、金融・決済、ITサービス、コンシューマーなどを中心に幅広い業界のM & Aを多く手掛ける。前職の三菱UFJ銀行では主に大企業を中心に企業融資やストラクチャードファイナンスなどを提供。
京都大学農学部卒 1997年 / 三和銀行(現:三菱UFJ銀行)、2006年 / GCA入社
1959年10月19日生まれ。日本女子大学卒業後、吉村紙業株式会社(現、株式会社吉村)へ入社。夫の転勤と出産が重なり、30歳から40歳までの10年間は専業主婦を経験。それ以降は株式会社吉村に企画部長として戻り、5年後の2005年には代表取締役社長に就任。第8回日本でいちばん大切にしたい会社大賞受賞。趣味は乾物料理と芝居。座右の銘は「天知る、地知る、己知る」。
少子高齢化が進む日本では、事業承継問題は中小企業にとって喫緊の課題だ。昨今では国内企業の3社中2社が後継者不在とも言われている。もちろん印刷業もその例外ではない。時代に淘汰される前に次の一歩を踏み出すべく、今、経営者はどのような対策を講じるべきだろうか。本記事では、日本の事業承継の現状や必要な準備について具体例を挙げながら紹介し、印刷会社・コンバーターにおける将来の経営を共に考えていく。
まずは、幅広い業界にわたり15年以上のM & Aアドバイザリー経験を持ち、多くの企業に携わってきた鈴木氏が、日本の事業承継の実情と傾向を解説する。コロナ前と現在で状況は大きく変わったという。
鈴木氏: 「今、私たちは大きな変化の時にいます。大きく3つのフェーズに分けると、コロナ前、コロナ禍、そしてコロナ後となります。コロナ前は、事業承継を考えるオーナーが多くいらっしゃいましたが、残念なことにバトンを渡す後継者がおらず、廃業するケースも多く見られました。2020年初頭からコロナという100年に一度の未曽有の災禍が起こり、企業のオーナーはどの方向に進むべきか悩み、一旦立ち止まって決断を保留するという状況が起こりました。いよいよポストコロナに進み始めた今、変化を受け入れて前進するチャンスを探している方が多いと感じます。事業を成長させるために、M & Aを考えて相談をされる方がここ最近で急に増えており、今後は、事業承継にM & Aを使うという選択肢がより増えてくると思います」
M & Aは、親族や社内に後継者の候補がいない場合、会社そのものを売却し、第三者へ経営を委ねるという選択肢の一つである。事業承継について考えるに当たり、鈴木氏はひとつの事例を挙げた。
あるIT関連企業の創業オーナーが急逝され、急遽ご子息が株式を相続したという事案だ。一代で株式上場を果たしたオーナーは、上場後も一定の株式を所有し、その価値は50〜60億円にものぼった。オーナーが永眠された後は、ご子息がオーナー保有の全株を相続し筆頭株主となった。ところが、莫大な相続税が発生したため、銀行から億単位の借り入れをすることになってしまう。上場された株は乱高下のリスクをはらんでいるが、株が下がれば借入担保の為に追加の差入れが必要となる。精神的に追い込まれたご子息は、借入負担を解消する為に株式の売却に踏み切ったという。
このような場合、誰が株を買うのかによって、残された従業員のその後の人生が大きく変わってしまう。このケースでは、先代の意志を継ぐ昔からの提携先に大部分を売却することができたが、次の経営者にどうバトンを渡すかはとても重要である。この事例には3つの教訓がある。1つは、準備なき事業承継は後継者が苦しむということ。突如訪れるかもしれない不幸に備えることは経営者に課せられた使命である。2つ目は、企業の羅針盤である事業計画を常に持っておくことだ。緊急事態に備え、窮地に立たされた時に進むべき方向性を示す道しるべを常にアップデートしておくことが重要だ。3つ目は、事業承継M & Aの際には、必ずセカンドオピニオンを取るということ。経営者自身が持つ事業承継の考えが、どのアドバイザーの考えと近いのか、常に複数の人と話し確認するのが良いと鈴木氏は語る。
後継者の不在は死活問題だ。そして、後継者選びは、社長にしかできない難しい仕事でもある。だからこそ、社長に就任したら、事業の成長戦略を実行することと、承継者を決めて育てるということを、両方スタートさせるべきだという。後継者の育成には時間を要するため、準備は早いに越したことはない。相談者なしに事業承継の計画を立てるのは難しいが、一人で抱えずに、外部のアドバイザーの力を得ることも大切だと鈴木氏はいう。専門家の力は予想以上に大きいものだ。
次に、株式会社吉村の橋本社長が事業承継の実体験を語る。創業88年の吉村は、日本茶に特化したパッケージメーカーとして業界トップシェアを占める。橋本社長は、3代目の経営者で、2005年に社長に就任。デジタル印刷の潜在的なマーケットをいち早く見抜いて設備投資をし、ビジネスを大きく成長させた腕利きの社長だが、2000年までの10年間を専業主婦として過ごし、自分が社長になるとは想像もしていなかったというから驚きだ。
橋本氏: 「私の祖父の代は、紙茶袋を手加工で作っていました。2代目の経営者である父の代になるとアルミ箔の袋が登場し、父はグラビア印刷機に設備投資をして、売上規模53億円の企業にまで成長させました。しかし、1990年頃からペットボトルが普及し、コーヒーが国民飲料となる時代がやってきました。日本茶の消費は下降の一途を辿り、一転して53億円あった売上は45億円まで下がってしまいます」
経営が下り坂になった2005年の決算取締役会の直前に、橋本氏と義理の弟が2代目社長に呼ばれたという。
橋本氏: 「父は、吉村の事業経営を私と義弟の2人に継承する計画を話しました。当初は、父が代表権を持つ大株主のまま、私が営業と財務を、義弟が物流と生産を担い、それぞれ社長と副社長に就任しました。その後2年間、必死になって事業を運営する中で、まだ誰も手をつけていない市場を取るため、HP Indigoデジタル印刷機を導入しました。次の2年間は父が大株主のまま取締役会長となり、私と義弟が代表権を持ちました。そして、最後の2年間で、相続時精算課税制度を使って父の株を譲り受けたんです。制度を使っても相続税は大きな金額になりましたが、それを自分で支払った時に、『これが助手席ではない人生を生きることなんだ』と実感しました」
相続時精算課税制度は、贈与時に非課税となる特別控除枠があり、軽減された税金を相続時に改めて精算する課税制度だ。相続時精算課税制度を利用した場合の財産は、相続時ではなく贈与時の時価で評価されるため、たとえば自社株式の価値が贈与時よりも相続時に上昇が見込まれるような場合には、本制度を利用した生前贈与が有効だとされている。このように、吉村は、社会の制度をうまく活用しながら、段階を踏んでスムーズに事業承継を果たしている。
橋本氏: 「父は生前に、自身の個人資産で偲ぶ会を開催することを決め、会場や配布する社史に至るまですべての準備を整えていました。死にざまは生きざまであり、どう死ぬかはその人の人生の質を決めます。父とは喧嘩もたくさんしましたが、今でも一週間に一度は必ずお墓参りに行き、心の中で父に語り掛けています」
しかし苦難は再びやってくる。18億円もの投資をしてデジタル印刷の工場を作った後、東日本大震災があり、静岡茶からセシウムが出て売り上げが大激減するという事態に追い込まれた。窮地に立たされた時、橋本氏は、まず会社の経営理念を作ったという。それが、「想いを包み、未来を創造するパートナーを目指します」というものだ。ビジネスが傾くと途端にパッケージはゴミだ、コストだと言われるが、そんな発想から脱却したかった。パッケージは、作り手の想いや商品を伝えるために不可欠なツールであると同時に、新しい需要を創造し、未来を変えることもできる。そんな想いを経営理念に込めた。
理念を掲げ、それを中心に物事を考えるようになると、段々と従業員の姿勢や行動が変わり、そして会社が良い方向へと変わっていったという。まさに鈴木氏のいう羅針盤の役割を果たしたのだ。紙茶袋からグラビア印刷、そしてデジタル印刷と進化しながら受け継がれてきた事業は、そろそろ次の承継者にバトンを渡す時が近づいてきた。
橋本: 「自分は心の準備をする間もなくバトンを渡されて面食らったので、事業承継は長いプランの中に組み込もうと考えました。経営理念を作った2011年に、10年ビジョンを作成し、それを機に息子と今後について話し合いました。社外に仕事を持っていた息子は、区切りを決め、2017年に新卒と同じ処遇で吉村に入社、工場勤務を経て会社や事業のことを学んでいきました。そして、事業承継の特例(事業承継時に発生する相続税・贈与税に対し、一定期間の猶予を受けられる。特例措置により、2027年までの期限付きで納税猶予割合の引き上げや要件緩和が実施されている)が出た時に、それを機にドライバーズハンドルを息子に譲り渡す時を定め、2027年に社長を辞することを発表しました」
税制の期限をうまく使えば、退任が後ろにずれることがないと考えたこと、自分が60歳を過ぎた時に、晩節を汚すことなく、身を引く準備を始めたいと考えたことが、これだけ先の辞任を決めた理由となった。
事業承継とひとことで言っても、「事業」の引き継ぎと「株」の引き継ぎがある。この2つをどのタイミングで次に渡すかは、経営者が最も悩むところだと鈴木氏はいう。
鈴木氏: 「何代にもわたり、このようにきれいな事業承継をできる企業は本当に稀です。吉村は理想的な形で代々事業をつないでいますが、もしも親族や社内に候補者がいない場合は、次の選択肢として、経営理念や考え方を理解できる第三者のパートナーに、株と事業を譲るという選択肢を考えてみることも必要です」
承継予定者の悩みも多い。印刷業界でも、自分は経営者に向いていないのではないか、親の事業を継ぎたくない、など様々な声がある。
橋本氏: 「性格的に経営者に向かないということはありません。私は専業主婦を10年やってきて、大学は国文科。コンプレックスの塊で、とても経営者が務まるとは思っていませんでした。ですが、ある時に、強みは作るものではなく弱みをひっくり返すものだと聞いたんです。国文科だからドラッカーは知らないけれど、言葉の持つ力で人を感動させることはできる、社宅妻をやっていたから、女の口コミには強い、という感じです。他人に短所を見つけた時は、その裏側に必ず長所がありますし、短所はチームで補い合えばいいんです」
鈴木氏: 「承継予定者の方から、自分は事業を継ぎたくないからM&Aを紹介して欲しいと相談を受けることもあります。そのような場合、親族内で意見の不一致が起きるケースが多い。心掛けているのは、現社長とも、承継者ともよく話をして、何が一番いいのかを考えることです。価値観も変われば、時代の流れもあるので、現社長とは違うことをやるというのでもいいのです。きちんと事業を繋げ、残された従業員や取引先が安心して、その先の事業を成長させられることが大切です」
承継の難しさは、時代の移り変わりも影響している。社員のマインドやモチベーションも昔とは変わっているのだ。昔は出世が一番のモチベーションだったが、今は価値観が変わり、そこそこでいいという人も多い。だからこそ、企業理念やビジョンは重要だ。時代や環境が変わっても、事業の核となる本質は変わらないからだ。
鈴木氏: 「迷った時に立ち返る、そういう意味でも理念は重要です。理念を戦略に転換し、具体的な数字に落として、さらに計画を実行していくのが難しい。理念、戦略、数字がつながり、さらに全社員がそれに向かう動機付けがあれば、皆で同じ方向に進めると思います」
橋本氏: 「確かに理念は絵に描いた理想郷になってしまう危険性があります。ですから、理念を作ると同時に、経常利益の25%を社員にキャッシュで均等還元する、ということを決めました。会社が利益を出せば、自分の財布も潤う。利益を上げるには、売り上げを伸ばすか、コストを下げるかですが、自分たちに還元されるとなったら、人はいくらでも工夫をするものです」
戦略は上から落ちてくるものではなく、自分たちで考える、そういう意識も大切だという。227名の従業員全員の名前を言えて書けると朗らかに語る橋本氏は、個々を尊重し、従業員の意見を柔軟に取り入れて経営に反映している。「日本茶で日本を元気に」という新しいビジョンも社内公募制で決めた。吉村の社員参加型の経営や事業承継のやり方は、学ぶべきところが多い。思いがけずバトンを託され、父親の背中を見てがむしゃらに走ってきた16年だったが、橋本氏が父から受け継いだ財産は、株や資産だけではないはずだ。最も大切な財産は、経営者としてのあり方ではなかっただろうか。
最後に、印刷業界の方々にひとことずつコメントをもらった。
鈴木: 「今、私たちは変化の時にいます。しかし、変化は間違いなくチャンスでもある。それを活かせるかどうかは一人ひとりの心掛けと踏み出す勇気にかかっています。社長の器は会社の大きさです。そこには伸びしろがあるはずですが、それを越えた成長を遂げるきっかけとして、第三者と組んでM & Aで事業承継をするという選択肢もあることを覚えておいてください。それは、今の器をつなげてさらに大きなものにするチャンスとも捉えられます」
橋本: 「皆さんに最後に贈りたい言葉があるとすれば、「できる」「できない」という物差しでは考えない、ということです。できたらやろうと思っていたら一生一歩も踏み出せません。やってみたらわかることも多いので、やりたいと思う心に忠実に、まず一歩踏み出すと、景色が変わると思います。そして、印刷はまだまだ可能性を秘めています。同じ業界で叩き合うのではなく、手を取り合って一緒に発展させられたらいいですね」
事業承継問題は、事業を経営していれば必ずぶつかる問題だ。まさに今、頭を悩ませている印刷会社も多いだろう。経営者であれば、年齢に関わらず、事業承継の知識や使える制度の理解を深め、早い段階から準備を進めておくことが重要だ。まだいいだろうと先送りにしていると、いざという時に事業をうまく引き継げないという事態にもなりかねない。そして、スムーズに事業承継を進めるためには、信頼できる相談先を選ぶことだ。ハッピーリタイアを実現するために、そして事業を存続させ、次の世代に受け継いで、さらなる発展を遂げるために、会社にとって最善の選択をして有終の美を飾りたい。ベストな形でバトンを繋ぐまでが、経営者としての使命なのだから。